『食料環境政策学を学ぶ』と新学科

小田切 徳美

   1   
明治大学農学部農業経済学科は2008年に名称の変更を行った。「食料環境政策学科」がその新名称である。
学科名称を巡っては、学科内で相当の時間をかけ、大学らしい議論が行われたように思う。その内容は、学生のみでなく、社会に向けてきちんと説明することが、私達の責務であろう。新著『食料環境政策学を学ぶ』はこうした意味も込めて編まれたものである。学科スタッフが、それぞれの主要担当科目の内容をわかり易く、しかも体系的に論じることに力を注いでいる。そのため、学生のテキストとしてのみでなく、食料・農業・環境問題になんらかの関心のある人々にとっても利用価値があるものであろう。
   2
それでは、あらためて「食料環境政策学」とは何か。
農業経済学には、いくつかの伝統的とも言える特徴がある。そのひとつが、新たに発生した問題を対象にして、拡大、深化する傾向が強いことである。それは、この分野が生まれながらにして学際であることから、研究の境界を意識することがあまりないことが要因であろう。この傾向は特に近年、強まっており、その新たな挑戦は二つの方向で進んでいる。それが、食料と環境である。
従来も、食料は農業経済学の重要なテーマであったが、その対象は農産物であり、その量的側面であった。しかし、近年では、それに加えて加工や調理された食品を含め、そして安全性等の質的側面までも分析対象としている。
また、水や土地の制約、そして温暖化等の気候変動の中で、農業は大きな影響を受ける。そのため、環境への問題意識は、この分野では早くから取り入れられていた。しかも、農業は環境汚染の加害者でもある。そうした中で、地域環境への負荷を軽減する農業や農政のあり方、さらに、農村の景観保全等の役割に対する経済的評価の研究も積極的に取り組まれている。
このように、従来の農業から、それを基盤としつつ、食料と環境が新たなテーマとして意識されている。『食料環境政策を学ぶ』は、こうしたチャレンジをする農業経済学を新たに体系化しようとしている。
新名称に当たって意識したもうひとつの点は、「政策学」である。これは、農業経済学そのものが、経済学に隣接する諸分野を含めた総合科学の性格を持つことを明確化することが意図されている。さらに、「政策学」の強調は、農業経済学自体も政策指向が強い分野であるが、食料環境政策学がより積極的に問題解決を目指す分野であることの表明である。経済学から、問題の発見、分析、解決策の提示、その評価等を一体的に検討する政策科学への発展が意図されている。
   三
口が悪い人は、前者が「『農』隠し」で、後者が「『総合政策ブーム』への便乗」だというかもしれない。実際にはそうした短絡的な名称変更では決してないが、あえてプラグマテックに評価すれば、名称変更により、(多少の波はあるが)受験生は増加し、特に入学者中の女性比率が飛躍的に高まった。しかし、それ以上に重要なことは、食料、農業、環境をめぐり、「私達になにかできないか」と思い、そして行動する学生が多く進学してきていることである。それは喜ぶべきことであろう。
名称変更後の最初の学生が、来年の3月に卒業する。つまり1年生から4年生まで「食料環境政策学科」の学生がはじめて占めたこのタイミングで、本書を世に送り出すことができたことも、また喜ぶべきことである。
なお、最後に次の点を記しておきたい。本書に執筆予定であった加瀬良明氏が、2011年6月12日に永眠された。氏は食料貿易論研究室を担当され、本書において「世界と日本の食料貿易」という章を準備されていた。原稿締め切り近くの頃に「もう原稿はほとんど出来ている」と、書き込みをした打ち出しをパラパラと見せていただいた。その際、「明日は病院に行くので、出すのは明後日以降になる」という話もされていた。まさに、その翌日から氏の闘病生活が始まったとお聞きしている。その打ち出しの厚さから間違いなく脱稿直前のものであった。氏においては、無念であったであろう。また本書にとっても、食料貿易をめぐる章の欠落は重大な問題だと思う。
学科長として、新学科と食料環境政策学の方向性について懸命に格闘された氏の墓前に本書の完成を報告したい。
[おだぎり とくみ/明治大学教授]