神保町の窓から(抄)

▼3月11日の東日本大地震で被災された方はもちろん、被災されなくともビックリされた方々すべてにお見舞い申しあげます。あれ以来、連日の報道を聞くたびに言葉を失っています。
 地震、津波だけでなく、それに誘発された福島原発の放射能漏れ事故(原発テロと言い直してもいい)は、これまた被災者だけでなく、全国の人々、世界の人々に気をもませています。野菜、魚、牛乳、水、空気の汚染は気がかりで、子どもの心にまで毒がまわらなければいいのですが。原発の修復や廃炉するについても、スリーマイルの前例をみると20年、30年の歳月を要する。とにかく今は、原子炉の周辺・内部で奮闘している作業員や科学者の、まさに戦闘状態にいる人々の武運を祈るばかりだ。何十年もまえから、原発は日本を滅ぼすと警告されてきたのに、こういう事故が起こらなければ真剣にむきあわず、むしろ原発に寄り添い野放図に電力を費消してきたわれわれは、今こそエネルギー政策のあり方を問い直さなければならないのではないか。小社でもこの期に及んで、何を為すべきかなどと議論が始まった。さて、どうする。わが社の健気は、蛍光灯の本数を減らしたり、便所の電気を消したりぐらいしかできていない。もっと考えようと、飲み屋にでかけてみると、そこも薄暗い節電そば屋で、焼酎のお代わりも減らし気味になった。今までどれだけ無神経に明かしをつけていたかを反省させられる。これは身近で起きている具体的なことだが、この事件は日本社会の何ごとをも、根っこから考え直すことを迫っていると思える。ある人はこれは「戦後の終わり、災後の始まり」といったが、考えさせられる言葉だった。悉くを「これでいいのか」「このままでいいのか」と問う必要がある。学問のあり方も、働き方も、家族のあり方も、政治も、経済も、教育もだ。ただ、NHKが何年もテーマとしてきた「家族」「地域あるいは故郷」のもつ連帯の有効性をこれほど現実のものとして提示されたことはなかった。
 われわれは、この震災、津波、原発に対して完全に受け身であり、せいぜいカンパくらいしかできていない。本屋という仕事に後ろめたさはなかったはずなのに、的確な対応をしているという自信はない。出版という仕事は、急場や危機に間に合わない。被災地に現物を送ろう、と研究書を送って何になる。経済書や歴史書、それにさまざまな資料集の山が送られてきても、迷惑か邪魔なだけだろう。本とは、本当に平時、平和な状況でなければ読まれないし、作れないし、役にもたたない本物の「平和産業」だということを思い知った。
 震災当日の社内の様子。全員在社していた。四囲にスチール棚があり本がぎっしり詰まっている。倒れる気配は普段からある。訓練が行き届いているせいか、すぐさま部屋の真ん中に逃げた。倒れ始める棚、飛び散る本、数分だったが全員顔がひきつった。こわかった。日を措いて倉庫も見に行く。こちらは目も当てられない程に飛散していて、書きたくもない。片付けに10日もかかった。傷んでしまった本の整理をしながら倉の隅で何十年も頑張っていた古典的在庫には、涙をのんで勇退願った。
▼突然だが、昭和24(1949)年7月15日、中央線三鷹駅で無人の電車が暴走し六人が死亡した「三鷹事件」を知っているのは、もう年配者を除いてかなり少なくなっているだろう。小社と約束し永い間待ち続けている松尾章一さんの仕事、『服部之總伝』の執筆が大詰めに来て服部の晩年の記述に入っている。その中に「三鷹事件と服部之總」なる一節があり、そこに三鷹事件で唯一人死刑判決を受けた竹内景助さんと服部の文通が紹介されている。事件当時はもちろんGHQの占領時代。共産主義の勢力削減のためには国家も占領軍も何でも考えた時代、下山事件も松川事件もこの前後に起こされている。共産党員九人が起訴され、非党員の竹内さんも起訴される。党員の弁護士の一人から「単独犯行ということにしてくれ、革命が成功したら党の高いポストを約束する」とか言われ、党のシンパだった竹内さんは、党を守るために単独犯行を主張し、犠牲を買ってでる。だが二審では、党員は皆無罪で竹内さんは死刑判決となる。話が違うじゃないか、竹内さんは断固無罪を主張し始める。......詳しくは事典で調べてほしいが、GHQか共産党か誰の謀略かわからない冤罪の臭いのする敗戦直後の裁判である。そして死刑判決から六〇年たった今、竹内さんの息子さんが再審請求にたちあがったのだ。主任弁護士は高見沢昭治さん。昨年暮れに明治大学の面々による人権派弁護士『布施辰治研究』を出したばかりなので関心をもった。三鷹事件の弁護にも布施は活躍している。『服部伝』の刊行近しの報告旁々、歴史家服部が「死刑囚」竹内さんとこんなに親しくつきあっていたことをお伝えしたくて。
▼小社の震災復興応援本2冊。塩崎賢明先生(神戸大学)著『住宅復興とコミュニティ』、中村太和先生(和歌山大学)著『環境・自然エネルギー革命』です。  (吟)