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  • PR誌『評論』183号:グローバル資本主義としての日本経済を直視せよ

グローバル資本主義としての日本経済を直視せよ

飯田 和人

先般、東北・関東地方を襲った未曾有の巨大地震と大津波、そして福島の原発危機により、まさに国難ともいえる状況に日本は陥った。
これは、少なからぬ人々に、幕末の黒船来襲(1853年)後に日本各地を襲った大地震、とりわけ1855年の安政の大地震を思い起こさせたようだ。我が国は、これまでも多くの困難を克服して今日の繁栄を築いてきた。今回も、この国難を乗り切り、新しい時代を切り拓いていくきっかけとしてほしいと心から願わずにはいられない。
もっとも、こうした思いは「平成の開国」派も同じらしく、いまこそTPPを切り札に日本経済の再生を成し遂げようと意気込んでいる向きもあるようだ。
この開国派の話を聞くと、日本は長い「鎖国」的状態の中で深刻な停滞に陥っているかのように錯覚してしまう。確かに日本経済がいま「失われた20年」とも言われるような停滞過程にあるのは事実だが、「鎖国」イメージなどはとんでもない誤解である。ちなみに関税率で見れば日本は世界トップクラスの「開国」度で、また農産物の平均関税率はEUよりも低率なのだ。
また、日本の停滞の原因は、そのグローバル化が遅れたためだという見方も根強い。ところが現実は、一九九〇年代後半以降、日本企業の活動がグローバル化し、それがグローバル資本へと転換・進化していく中で国民経済の衰退兆候が現れてきているのである。
このグローバル資本の特徴は、調達、生産、販売という三つの資本の活動領域の国際化にある。言い換えるなら、それは世界の中で最も有利なところ、最大の利益をあげられるところにその活動(調達、生産、販売)拠点をおき、いわばグローバルな規模と体制で経営を展開するのである。
したがって、その国境を超えたグローバルな運動そのものが、その活動拠点をおく国の国民経済の発展をもたらすこともあるが、その運動が当該国の経済構造を変容させ衰退へと導く可能性もある。たとえば、資本の海外進出が産業の空洞化や雇用の空洞化をもたらし、そこから国民経済の衰退が導かれるという事態である。
こうなると、かつてアダム・スミスが説いた、市場経済における私的利害と公的利害との一致という教えは通用しなくなる。これは市場のプレーヤー達が利己心のままに自由に行動しても「見えざる手」の働きにより結局は社会的な調和が生まれるという考え方だが、現代の市場の主要プレーヤーであるグローバル資本の場合、その利害は国民経済の利害とは必ずしも一致しないからである。
日本の場合、グローバル資本主義への移行が国民経済の衰退を促している傾向が見られる。つまり、その根本的原因は実は日本資本主義の発展の中にあり、その発展過程でグローバル資本を生み出したことが結果的に国民経済の衰退へと導いた可能性があるのだ。
もちろん、日本企業のグローバル化、つまりグローバル資本への転換はもはや避けようがない。しかも、これからは内需産業も(中小企業も含めて)次々とグローバル化していく。その背景には、日本がすでに「人口減少社会」に入ったことで国内需要が縮小傾向を見せているということがある。企業は、その存続のためにもグローバル化して行かざるをえないのだ。
したがって、今後は、日本企業のグローバル化が不可避であるということを前提にして、つまりはグローバル資本主義としての日本経済の現実を直視して、その将来を構想しなければならなくなっている。
何よりもいま必要なのは、グローバル化する世界市場に自国の産業構造を適応させ進化させながら国民生活の向上を図っていくという政策理念である。とりわけ日本経済の場合、世界の工場、世界の成長センターとして、今後ますます発展する東アジア経済圏において日本という国に独自の産業的ポジションを構築していくこと、換言すれば、グローバル資本主義としての日本経済の現状をきちんと踏まえながら、その高度化した産業構造についての明確なビジョンを打ち出し実現していくこと、これが何よりも求められている。
そのためには、現在の日本経済がいかなる意味でグローバル資本主義であるのか。さらには、それがこの国に何をもたらしているのか。この認識が決定的に重要なのである。
〔いいだ かずと/明治大学政治経済学部教授〕