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  • PR誌『評論』182号:看護・介護移民労働を考える  ──「越境するケア労働」刊行によせて

看護・介護移民労働を考える  ──「越境するケア労働」刊行によせて

佐藤 誠

研修生として働きながら日本の国家試験に備えるインドネシア人の看護師と介護福祉士の候補者が、2008年から日本各地で働き始めた。日本とインドネシアの経済連携協定(EPA)に基づくもので、試験に合格後は日本の医療機関や介護事業所で正式に働くことが彼らの願いだ。2009年にはフィリピンからの候補者が続き、タイやベトナムからの候補者来日も予想されている。
この一連の出来事については、日本社会の高齢化と医療・福祉分野の人手不足を背景に、マスメディアも高い関心をよせ、候補者が日本語の国家試験に合格するのは容易ではないこと(看護師の国家試験合格者は、2008年度ゼロ、2009年度3人)、受け入れ機関も研修や日本語教育にかかる費用を負担しなければならないのに試験の合格率が低ければ人材確保に結びつきにくいこと、などを伝えた。また社会福祉などの専門家によって現実に即した実態調査や分析が行われている。
このほど『越境するケア労働──日本・アジア・アフリカ』を上梓したわれわれのグループも、それら先行研究の恩恵を被っている。ただ、われわれとしては、以下のような視点から独自の分析を試みた。第一に、日本と東アジアの移民労働だけでなく、南アフリカ共和国と南部アフリカ諸国、東アジアと英国、南アフリカと英国、南アジアと中東など、対象を重層化することでグローバルな見取り図を描こうと心がけたことである。そもそも、今回のEPAによる導入以上に、世界各地で急速に拡大するケア移民労働者とりわけ看護部門における移民労働の増大に、われわれの研究は触発されてきた。
第二に、ケア労働(病人の看護や老人・子供の介護など、家事労働とも重なり合う)を再生産、すなわち労働の担い手である人間の生物学的および社会的再生産の一環として位置づけることで、現実の解釈とともにあるべき方向性を考えようとした。たとえば世界最大の看護師輸出国フィリピンから看護師導入をするとき、受け入れ社会である日本の保健医療を通じた再生産だけでなく、送り出し社会であるフィリピンの再生産が保障されなければならない。だが、現実のフィリピンの保健医療状況はWHOの規準から見ても周辺国との比較からみても大きな問題を抱えている。工業製品の生産と違って再生産部門は輸出入代替がききにくいのである。
本書の一二章が伝えるさまざまな事実の中からひとつだけ、国家の機能を考えさせるエピソードを紹介しよう。1998/99年、英国で新規登録したフィリピン人看護師は52人だった。それが2001/02年には7235人に急増した。理由は、1997年に登場したブレア労働党政権が公約の国民保健サービス改善のため外国人看護師の大量導入に踏み切ったから。6年たち2007/08年には249人に急減する。理由は、イギリス人看護師の養成が軌道に乗り外国人看護師に頼らなくても良くなったから。グローバリゼーションの深化の中で移民労働の統制に果たす国家の役割は低下し続ける、とは簡単には言い切れなさそうだ。ついでながらOECDによると、英国はフィリピンに次ぎ2000年現在、世界で2番目の看護師輸出国でもある。単純なプッシュ─プル理論では説明がつかないのではないか。 
ケア労働と移民労働との結びつきを明らかにしようとする理論的試みは、いままでにもなされてきた。海外で働く家事労働者が自国に残してきた家族のケアをローカルな家事労働者に頼っている現実に注目した新国際再生産分業論やグローバルなケアの連鎖を説くグローバル・ケア・チェーン論である。そのほとんどが、ケア労働の担い手が女性であることを暗黙の前提にしている。だが、日本では介護・看護ともに男性の進出が著しい。日本で働く外国人労働者も同じである。ジェンダーの面でもこれまでと違ったパースペクティブが求められているのかもしれない。本書の題名にある「越境」には、国境を越える意味だけでなく、私的な領域(家庭)から公的領域(医療機関、介護事業所)へのケアの「越境」、ケアの主体のジェンダー「越境」まで、さまざまな意味が込められている。
[さとう まこと/立命館大学国際関係学部教授]