神保町の窓から(抄)

▼ドイツ歴史学派の父フリードリッヒ・リストの研究で知られる小林昇先生が6月に逝き、10月9日に立教大学のチャペルで、立教大学経済学部葬が執り行われた。追悼に集まった先生方の弔辞や偲ぶことばで、小林先生が「世界的」な学者で「ノーベル賞をもらってもおかしくない人」だったことを思い知った。20年以上前になる。一橋大学におられ、まだ元気そのものだった杉山忠平先生に連れられ、小林先生のお宅にうかがったことがあった。奥方が淹れてくれたコーヒーの香りは今も忘れないが、あの反戦大工・庄幸司郎さんが作ったという書庫を案内されたことは、もっと忘れがたい。ありあわせの素材を使ったのだろうか、材質はまちまちに見えた。そして詰まっている本に経済書が見当たらない。見えたのは文学書ばかりだった。歌人であり、経済学者でもあった先生の深い素養の源泉を見た思いがした。応接間に戻ってまたコーヒーのお代わり。小林先生も杉山先生もお声は静かだ。私はもじもじしながら2時間も聴き入った。小林先生追悼の言葉は、本号に渡辺尚先生が寄せてくださったので遠慮するが、先に逝ってしまった杉原四郎先生も、酒も飲まず高笑いもせず、静かな先生だった。それに比べると経済史専攻の先生はガラガラと酒を飲み、夜更かしもし、声もでかい。私も同席できる。わが社でお世話になった経済学史専攻の先生方は、みんなみんな静かな好好爺だった。もう、誰もいない。百敗。
▼紀伊國屋書店が展開する「ネット・ライブラリー」という電子出版がある。既刊書を電子化し、世界中の図書館に購入してもらうという作戦である。大学をひとつひとつ訪ね、先生に泣き言をいいながら、一冊の本を買っていただく時代ではなくなったようだ。手間を惜しんでではなく、こういう時代を受け入れようという気になって(時代に負けて)、小社も参加することにした。ただ、小社が作った既刊書だといっても、出版形態が異なるために、著者の許諾を再びいただかねばならない。小社の本は、「単著」よりも「編著」の方が圧倒的に多い。初回の候補として選択した50点余でも、250人の執筆者がいた。目玉は「ポスト・ケインジアン叢書」、シリーズ「経済思想」、「経済安定本部 戦後経済政策資料」などだが、最古のものは、1978年初版の、川口弘監修クリーゲル『政治経済学の再構築』である。32年前だ。亡くなった人、定年でいまいずこで暮らすか不明になってしまった人、これらの人びとの住所を追跡するのに何日もかかってしまった。返事がきた。電子化を拒否した人はいませんでしたが、「まだ印税を頂戴しておりませんネ」と、やんわりと印税の催促をされた方もおりました。ビクッ。お詫びしながら、久しぶりの会話を交わし旧交を懐かしんだりもしました。
 小社では、この電子化の作業は順次進めてまいりますので、また別の本でお願いすることもありましょう。その節は再びよろしくお願いいたします。
▼連合総研が「困難な時代を生きる120人の仕事と生活の経歴」という300頁近い研究レポートをまとめた。機会がありその数十人に目を通した。いわゆるワーキングプアに関する本はいくつもあるが、生のレポートを手にしたのは初めてだったので、こんなことも知らなかった俺なのか、という反省も込めて驚嘆した。その一つを簡単に紹介します。
 1975年生まれ、35歳の男の話。祖母の代から近所のスナックや飲み屋を相手に高利貸をしている家に生まれた。父が借り主といざこざを起こし、もめ続ける家庭で中学を終える。自分で自由にできる金がほしくて、中卒で働き始める。最初はスーパーで鮮魚のさばきだった。この仕事は肌に合い、店からも信用され、やり甲斐を感じた。正社員になるには中卒者には登用試験があった。何回か挑戦したが合格せず、学歴の重みを思い知って退職。次は大型の居酒屋に就職し調理の助手をした。ここでも上司に可愛がられ給料も上がった。彼女もできて結婚もした。調子よく6年勤めたところで経営が傾き社長が夜逃げ。給料未払いのまま失業。その後の六年間は放浪生活だ。土木の日雇いをしながら全国をまわる。結構楽しかった。人の真心にも遭遇した。定職を求め、32歳のとき旅暮らしをやめ、派遣会社に登録。自動車メーカーに派遣され、仲間もでき、いやな仕事も率先してやった。しかし、リーマンショック以降仕事はぱったり。2008年12月、正月前に解雇される。翌1月、公園で寝ていると荷物と金を盗まれる。腹が減って、半ばやけくそで無銭飲食して警察に捕まる。執行猶予で放免されたが、行くところはない。公園や橋の下で路上生活をしているときに、支援団体のあることを知る。そこにかけ込んで飯にありついた。屋根のあるところはいい。きっと就職してみんなに恩返ししたい。......こんな「経歴」だ。雇用の重みをじっと考える。社内会議で披露したら「こんなこと誰でも知ってることヨ」「面白くもない」との反応。そうだろうか、私はそう思わない。 (吟)