景観問題と経済学

山田良治

広島県鞆の浦をめぐる景観訴訟において、昨秋、公共事業の差し止めを命じる画期的な判決があった。制度面でも2004年の景観法制定にみられるように、わが国の景観問題は新たな局面を迎えている。
こうした事態と並行して、景観問題に関する研究が活発である。例えば都市計画の分野では、景観法の制定に深く関わったとされる西村幸夫氏の一連の業績(『西村幸夫風景論ノート』『都市美』など)が注目される。氏によれば、ヨーロッパを中心に都市計画は「都市デザイン」「都市美」を課題とする段階へとさしかかりつつある。景観問題を含めて、都市空間一般のあり方がより高度に問われる時代の到来である。
都市空間を「計画」したり「デザイン」したりする場合、もっとも厄介な問題は、都市空間というものが概して私的空間の集合として存在していることである。言い換えれば、私権の規制・制限という問題が立ちはだかることである。
社会的な規制と私権の軋轢という問題は、しばしば訴訟の種になることから、法学分野でも多くの研究蓄積がある。例えば、原田純孝氏らによる「都市法」研究がそれである。原田氏もまた、「目的意識的な形成・対象であるべき共同の活動・生活空間が、法制度的には私的土地所有権の集合体の上に存立している」(『現代の都市法』)ことを、都市空間形成の主要な矛盾と認識し、市民的立場からこれを緩和・調整する点に「都市法」の基本的役割を強調する。
このように見てくると、この種の問題の根本は私的空間とこれを構成要素とする集合空間との関係にあることがわかる。ゆえに、景観問題、またさらに広く空間形成問題にアプローチしようとする経済学もまた、この点を経済学のスタンスから解明することが求められる。
このうち、私的空間をめぐる経済法則については、マルクス『資本論』におけるいわゆる「地代論」がその基本を解明している。したがって、この点で必要となることは、地代論の内容を現代の諸現象に発展的に適用することだけである(といっても、実はこれは簡単なことではないが)。
より現代的特有の課題は、これを集合空間との関係で捉えることである。しかし、これについても『資本論』は興味深い示唆を与えている。すなわち、「土地の共同占有……を基礎とする個人的所有」の創出という、その未来社会論である。
誤解のないようにいっておくと、ここで「土地の共同占有」とは国有化のことではない。こうした概念の実体をどうみるかは別として、ここで重要なことは、このことが集合空間と個々の空間との関係を論じているということである。しかも、注目されることは、これらが「資本主義時代の成果を基礎とする」という指摘である。この指摘が正しいとすれば、その実体はすでに資本主義時代に準備されていなければならないということになる。この視点から、現代の景観形成、空間形成の問題を検証すれば、何が見えてくるだろうか。
問題に関わるいまひとつの論点に言及しておこう。それは、「公共性」という概念に関してである。一般に、私権を制限するためには、そのことに「公共性」があるという社会的合意が必要となるが、景観など「都市美」実現のための社会的規制ということになれば、それが「美」という高度に主観的な問題であるだけに事柄はいっそう複雑である。「美」の達成に「公共性があること……はどのように論証できるのか」(『都市美』)と西村氏が問題を投げかける所以である。
この度刊行に至った拙著『私的空間と公共性──「資本論」から現代をみる』は、書名からもわかるように、これからの諸問題の理論的解明を意図したものである。どこまで問題の本質に迫れたかは読者の判断に委ねるほかはないが、類書がほとんどない点で希少価値を持っていることだけは間違いなさそうである。本書で展開した理論が、各地で展開されている都市再生やまちづくり、都市農村交流の実践に携わる人々、またこれらの諸問題を学ぼうとする人々にとって、その力となることができれば幸いである。
[やまだ よしはる/和歌山大学観光学部]