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  • PR誌『評論』178号:「静かなる民衆革命」と民衆史研究(承前)

「静かなる民衆革命」と民衆史研究(承前)

安在夫

3 民衆動向と民衆史研究
野党民主党の圧勝に終わった総選挙は、わが国における憲政史上初めてと言ってもよい本格的な「政権交代」の実現であった。しかし振り返って見れば、政権交代の予兆は先の参院選挙の前にすでにあった。このことを痛感したのが、同選挙の直前、講演先のある地方で耳にした「政権が変わらなければもう生活ができない」という住民の声である。この言に多くの人びとが頷く様態に、私は政治的変動が起こることを確信したことを今でも鮮明に憶えている。今回の選挙結果はその延長線上に位置するものなのである。
ところで、過去におけるこのような民衆の言動を検証し叙述し今に伝え、現実の生活に活力を付与し、将来への展望を描く任務をもつのが民衆史研究であると、私は認識している。では、民衆史研究はどのような歴史をもっているのか。歴史学において民衆史という分野が研究上の市民権を得たのは戦後になってからであり、概して「いかに闘ったか」という運動史の側面に関心が寄せられ、戦後しばらくの間は階級闘争史(1950年代)→人民闘争史(60年代)のカテゴリーで検証されるのが一般的であった。このような中で、1960年11月、「民衆を歴史発展の主体的要素とする認識に立ち日本史の科学的究明を目的」(会則、第一条)とした民衆史研究会が設立された。同会は主に民衆史研究の大家西岡虎之助先生(1985〜1970、当時早稲田大学文学部教授)の指導を受けた人、その歴史認識に共鳴する人などによって組織されたが、同会結成に当たっては、その名称・趣旨等に関し周囲より厳しい批判・非難があったと仄聞している。民衆認識に偏見があり民衆軽視の風潮が漂っていたことが窺われ、それを乗り越えて結成したところに同会誕生の意義があった。以後被支配層としての民衆の諸運動・生活や意識・その基盤としての地域や土地問題の研究など、民衆史研究は着実に成果を上げてきた。しかし近年民衆史研究に新たな動きが生じている。

4 民衆史研究の今後 
1960年代後半より深まりを見せ始めた民衆史研究は、生活史・女性史・地域史・社会史などの視点を加味しつつ進展・深化した。具体的に記せば、色川大吉(地下水論)・鹿野政直(秩序意識論)・ひろたまさき(三層論)・安丸良夫(通俗道徳論)諸氏らの研究である。しかし、1980年代後以降、特に社会史研究やポストモダニズムの影響を強く受けた(と思われる)歴史理論の登場により、従来の民衆認識・民衆史研究は大きく修正を迫られる形となった。この傾向は1990年代に入ると一層顕著となって現在に至っている。歴史学の現状については、「三派(戦後歴史学・新しい歴史学・歴史修正主義)の鼎立」(成田龍一「『戦後歴史学』の自己点検としての史学史」『歴史学研究』第862号、2010年1月)との指摘があるように、混沌としている。それゆえにこそ有効な方法論の確立が必要と考えるが、民衆史という観点から見た場合、現在大きな影響力を有している「新しい歴史学」の民衆把握(分析)には、いささか疑念なしとしない。すなわち、民衆を実態ではなく分析概念としてきわめて相対的に認識・検証していると思われるからである。民衆史研究が進み民衆から遊離した民衆像が造形されたというべきであろうか。少なくとも昨今の民衆史研究に関する議論は、前述した私の考える民衆史研究とはかなり異なっている。
では、どのような見方が求められるのか。私が留意しているのは、恩師であり先にも触れた西岡虎之助先生が説かれた「民衆が満足・共鳴する歴史研究・叙述」である。昨秋、私は若い学徒との共同研究の成果『近代日本の政党と社会』を上梓した。根底に立憲制の発達・政党と民衆・政治と社会という問題意識があることから、「政権交代」の検証にはことのほか興味がそそられる。「静かなる民衆革命」の実態の検証・伝え方を、いま、私は民衆史研究を研ぎ澄ますという観点から模索している。
[あんざい くにお]

*本稿脱稿後、戦後歴史学と民衆史研究に触れた成田龍一氏の一文が公にされたこと(「なぜ近現代日本の通史を学ぶのか」『日本の近現代史をどう見るか』)岩波新書)を付記しておく