知られざる日独航空技術移転の歴史

西尾 隆志

2023年8月に刊行した『日独航空技術移転史──1919~45年』は、第一次世界大戦終結後から第二次世界大戦終結までの約25年間(1919~45年)におけるドイツから日本への航空技術移転を、武器移転史研究における一つのケーススタディとして、国内外の一次資料に基づき実証分析することを目的としたものである。本書では、軍事史・技術史・経済史・政治史など関連諸分野の多角的観点を包摂した論証を試みた。

航空機の軍事利用は第一次世界大戦で本格的に始まり、欧米の主要参戦国では、航空機の大量生産を実現する航空機産業が戦時期に確立され大拡充を遂げた。一方で同大戦を「非総力戦」として経験した日本では、戦争終結時点で陸海軍の航空戦力は質・量ともに欧米に比し大きく立ち遅れ、産業基盤も未確立であった。

軍部による保護と指導の下、事実上の軍需産業として発展した近代日本航空機産業の歴史は、「輸入時代」(1909~18年)・「模倣時代」(1919~30年)・「自立時代」(1931~45年)の三段階に区分される。本書で議論したのは、このうち「模倣時代」と「自立時代」である。第一次世界大戦後の「模倣時代」には、多くの民間資本が航空機製造事業に参入し、日本航空機産業の基盤が確立されるとともに、陸海軍・民間航空機製造企業は機体・エンジンの輸入のみならず、製造権購入や外国人技師の招聘を通じて、もっぱら欧米から航空機設計・開発・製造技術の習得に努めた。そして「自立時代」には、航空機の製造経験を蓄積してきた主要民間企業が、日本海軍の立案した航空技術自立化政策の下で、優秀な機体・エンジンを自主的に設計・開発する能力を比較的短期間のうちに獲得し、紙面上の性能では欧米機に匹敵する近代的航空機の国産化を実現したのである。

当該期日本における航空機産業の自立化すなわち航空機の国産化過程において、イギリス・フランス・アメリカ・ドイツなどの欧米各国から日本への航空技術移転は非常に重要な構成要素であり、なかでも本書で扱うドイツからの航空技術移転は、約25年間に及んだ長期性・継続性という側面において、他の欧米諸国と日本との関係性よりも際立っている。フランスとイギリスは、第一次世界大戦後間もない時期に、航空使節団の派遣や技術移転を通じて日本の陸海軍航空部隊・航空機産業の基礎確立に大きく貢献したが、その後は相対的に関係が希薄化した。また「模倣時代」の日本航空機産業とアメリカとの関係は概して希薄であり、むしろ「自立時代」を迎えた後、特に日本の空冷エンジン開発はアメリカからの技術移転に多分に基礎づけられた。一方、ドイツとの技術的関係性は、日本航空機産業の「模倣時代」であると同時にヴェルサイユ条約によりドイツ航空機産業に厳しい規制が課された20年代軍縮期、日本が性能面では世界的レベルの航空機国産化を達成した一方で、日独が軍縮体制からの離脱と航空軍備増強に邁進した30年代半ば以降の軍拡期、両国が公式の軍事同盟関係を形成するも、物理的な連絡手段が希薄化した40年代の第二次世界大戦期という各時代状況に即して、その規模や内実を大きく変容させながらも途絶えることなく継続したのである。また技術移転のプロセスも、ドイツ機の輸入だけでなく、日独民間航空機製造企業間の提携・ライセンス契約、ライセンス生産、輸入機を参考とした日本での国産機開発、ドイツ人航空技術者の日本への招聘、日本人技師のドイツへの派遣、さまざまな資料の輸入など、ハード・ソフトを問わず多様であった。

技術移転と受け手側の兵器国産化との相関性に照らしても、この事例研究は歴史的示唆に富む。戦間期には、ドイツから移転された全金属機製造技術が、1930年代半ば以降における、日本陸海軍機の羽布張り複葉機から全金属製単葉機への技術革新をもたらす基底的要因として有効に機能したものの、第二次世界大戦期には、大量生産実現への障壁となった日本航空機産業の狭隘性、その裾野にある広範な一般工業全般の立ち遅れなど、いわゆる軍事的転倒性の問題が顕在化し、そうした日本軍需産業の本質的脆弱性の改善に資するドイツからの技術移転に乏しいまま両国は敗北した。つまり、長期に及んだ日独間の航空技術移転は、より一般化すれば、武器移転に依拠した後発工業国日本の兵器国産化能力の急速な向上と限界の双方を、明瞭に示したという点でも重要な事例研究となり得るのである。

[にしお たかし/明治大学非常勤講師]