• TOP
  • PR誌『評論』
  • PR誌『評論』228号:関東大震災一〇〇年と一九一〇年関東大水害──『関東大水害』の刊行に寄せて

関東大震災一〇〇年と一九一〇年関東大水害──『関東大水害』の刊行に寄せて

土田 宏成

今年2023年は、関東大震災の発生から100年の節目の年である。その年に『関東大水害──忘れられた一九一〇年の大災害』を刊行できたことの意味を考えたい。

首都圏の近代史を研究する人びとの集まりである首都圏形成史研究会内に、2016年、小研究会として「首都圏災害史研究会」が設置された。本書は、首都圏災害史研究会の共同研究の成果に基づく最初の論文集である。また、首都圏形成史研究会の研究成果を刊行するシリーズ「首都圏史叢書」としては、8冊目となる。

なぜ首都圏災害史研究会が最初に取り上げた災害が、1910年の関東大水害だったのか。研究会では、発足当初から取り上げるべき災害の一つとして、関東大水害の名前は上がっていた。その被害が関東地方を中心としつつ、東海から東北までにわたり、死者・不明者も1000人を超える大規模災害だったからである。同水害後、東京で荒川放水路開削工事が始まったことに代表されるように、関東大水害は政府の治水政策にも大きな影響を与えた。

今から四半世紀前、すでにこの問題について首都圏形成史研究会では研究が行われている。「首都圏史叢書」の初巻である櫻井良樹編『地域政治と近代日本──関東各府県における歴史的展開』(日本経済評論社、1998年)に収められた、山崎有恒「明治末期の治水問題」が、関東大水害の政治史的な意味を論じていた。

首都圏災害史研究会では発足後、取り上げるべき災害について精査するため、分担して首都圏各都県の自治体史等の災害記述を調べ、集めたデータを年表化し整理していった。同年表は「首都圏災害史年表 許磨E明治編(暫定版、2021年8月)」として首都圏形成史研究会ウェブサイトで公開されている。その作業過程で、関東大水害についても各地の被害実態が判明していき、その影響の大きさがより明確になった。

こうして関東大水害を研究会として最初に扱う災害とすることについて、意思統一がなされた。また、大災害でありながら、関東大震災の影に隠れ、注目されない災害の一つであること(それが本書の副題となった)、1910年の関東大水害の経験は、その後の防災・救護・復旧・復興のあり方にも影響を及ぼしており、1923年の関東大震災を考える際の前史としても重要なこと、近年気候変動によって風水害が激化していることなども、関東大水害を最初のテーマに選んだ理由である。

次の問題は関東大水害を、どのような視点で研究するかであった。研究会のメンバーの特性を生かし、関東大水害の全容を明らかにすると同時に、災害史研究に新たな側面も打ち出すこと、すなわち、多様性、体系性、新規性を合わせ持つ論文集を目指すことにした。出来上がった諸論文は、関東大水害時の首都圏各地の被害状況とそれへの官民の組織や地域の対応を明らかにした論文と、同時期の災害(対応)認識の変化や、歴史研究分野以外の災害研究に関する論文に大別され、前者はさらに首都東京と各県を扱ったものとに分けられた。かくして本書は「東京の関東大水害」「被災各県の諸相」「災害史研究の広がり」の三部構成をとることになる。

研究会の活動が本格化していった時期に新型コロナウイルスのパンデミックが発生し、対面での会合や、執筆上最も重要となる史料や図書の閲覧が困難になった。それが大きな要因となって、本書の刊行も当初考えていたよりも遅くなり、2023年初めとなった。

しかし、関東大震災一〇〇年を迎える前の刊行を目指していたので、当初の目的はぎりぎりで達成された。近代日本の災害は関東大震災だけではないこと、関東大震災を考える場合も、それ以前はどうだったのかを踏まえる必要があることについて問題提起はできた。ただし、この指摘は、本書自身にも当てはまる。特に、本書では関東大水害以前の諸災害と関東大水害との関わりについての検討が不十分であった。今後、私たち自身もこの問題に取り組んでいく。

関東大震災について、発生から100年を記念した著作の刊行や展示などが行われている。首都圏災害史研究会もこれらの諸成果に学び、さらに災害史研究を進展させていく決意である。

[つちだ ひろしげ/聖心女子大学教授]