子育て家族を支える理念と手法

宮本 章史

このところ、日本では「異次元の少子化対策」という言葉が毎日のように新聞やニュースに登場する。朝日新聞の記事によると、政府がこの言葉を初めて用いたのは、2023年1月4日の岸田文雄首相による年頭の記者会見においてである。今年の課題として少子化対策を取り上げ、児童手当を中心とする経済的支援の強化という方向性などを示す際に、この表現が用いられた。なお、我が国で児童手当が導入されたのは1972年である。ただし対象者はすべての児童ではなく、第三子以降とされ、当初より所得制限があった。そのため1974年の時点で、該当年齢でありながら実際の給付対象となる児童は一割にも満たなかったとされる。性格としては、多子家庭の貧困を予防するということが念頭にあった。それ以降、就学前の子どもを対象に二人目から、またのちに三歳未満の子について第一子から支給の対象となった。その後、2010年に民主党政権が児童手当に代わり導入したのが「子ども手当」である。これにより一度は所得制限が撤廃された。しかしバラマキとの批判を受け、その後の自民党政権では再び児童手当と名称も戻り、所得制限が設けられている。

もちろん子どもの養育義務は親にあるという私的扶養の価値観があったからこそ、「子どもを社会的に支援する」児童手当は抑制的な扱いを受けてきたと自民党を批判することはできる。しかし、実は新聞などのメディアも、一定の見解(特に子育て家族への現金給付を否定的に捉える)を有してきたことが指摘されている。

さて、諸外国に目を向けると、日本よりも早く児童手当を導入した国も多い。イギリスでは第二次世界大戦時にベヴァリッジが社会保障計画のなかで児童手当を提示していた。なおベヴァリッジ報告書では、母親は家庭を守るべき存在だという価値観が示されていた一方、児童手当は両親による子の養育支援であるとともに、社会による新しい責務として実施するとも記されていた。その後、一九四五年に家族手当という名称で導入された。

2月に刊行した翻訳書『イギリス家族政策はどう変わったのか──子育て・貧困と政府の役割』では、直近二十年のイギリスの子育て家族に関する政策や意識の変化が明らかにされている。たとえば1980年代の保守党政権は女性の就労に対して中立的であり、既婚女性は家に留まるべきという世論も根強かった。しかし1997年以降のニューレーバー(新しい労働党)政権では、政府が女性の就労を支援し、給付付き税額控除を通じて低稼得世帯の所得を押し上げた。また子どもの貧困対策を行うだけでなく、すべての四歳児に無償の幼児教育を提供した。その間に世論も変化し、家事を行うのは女性という価値観や、幼い子をもつ女性は家に留まるべきという考えは少数派となった。なおニューレーバー政権時に、内務省は結婚を子育ての確固たる基礎と位置付けており、伝統的家族観が保持されたようにみえるかもしれない。しかしその後、家族の形が多様化したことを受け、同性カップルにも異性カップルに類似した権利や責任をもたらすシビル・パートナーシップ法が制定されている。さらに結婚を子育ての基礎とみる見解は、やがて保守党政権下での同性結婚の導入につながった。この点に関し、日本の岸田首相は同性婚について「家族観や価値観、社会が変わってしまう課題」だとしたが、カップルによる子育てを支援するという意味で、より柔軟な発想が必要なのではないだろうか。デジタル大辞泉によれば、異次元とは「通常とは全く異なる考え方、また、それに基づく大胆な施策」を指す。両親のうち収入の高い方を基準に児童手当の所得制限をかける方法はジェンダーバイアスを伴うため、現在検討している所得制限の撤廃は望ましい。ただし、今後は「異次元の少子化対策」とは一体どのような見地に基づくものなのか、明確なビジョンを示す必要がある。

今回の翻訳書では、子育て家族に対する現金給付の重要性も明示されている。イギリスでは2010年代に入り、保守党政権下において所得に関する「子どもの貧困指標」は廃止され、家族の崩壊や依存症の問題が声高に指摘されるようになった。「所得だけが問題ではない」という姿勢は、たとえ家庭の資源が不足していようとも親が道徳的に正しく行動すれば問題は解決できるという言説に変わり、所得政策の軽視につながりかねない。我が国でも科学的根拠に基づき現金給付の重要性を示し、現物給付と併せてバランスよく実施することが重要だと強く示唆される。

[みやもと あきふみ/北海学園大学准教授]