金澤史男君を偲ぶ

林健久

金澤君
77歳のわたしが、50歳代半ばの教え子の君の野辺の送りに連なり、告別の言葉を捧げねばならないとはなんという悲しみでしょう。教師のわたしでさえそうなのですから、突然逆縁の別れをなされなければならなくなった金澤君や奥様のご両親のお嘆きは如何ばかりか、また頼みとするご夫君父上をなくされたご家族の哀傷の情は如何ばかりかとお察しし、お慰めの言葉も虚しくて憚られるほどであります。
金澤君とわたしは30年以上の付き合いですが、あまり写真を一緒にとったことがなく、さがしてみたら学部学生でわたしのセミナーにいたころのものがでてきました。まだ少年の面影さえ残した初々しい顔立ちです。この写真を前に、あれからはるばるきたものだという感懐と、あっという間だったという思いが交錯しますが、君を失ったいま、何をみても何を考えても、まるで体の一部がもぎ取られてひりひりするような痛みが募るばかりです。
わたしのセミナーと申しましたが、セミナーの語源は種を播く苗床だそうです。金澤君はわたしの苗床で真っすぐに育ち、横浜という土地を得て深く根を張り枝を伸ばした大樹大木になりました。すでに多くの実をつけ、若木を育ててきたとはいえ、なお今後無限の恵みを私どもにもたらしてくれるはずだったのに大樹はなぜ突然倒れたか、運命は不公平だというほかありません。
金澤君は学部のセミナー時代から現在まで一貫して財政・財政学と日本経済ないし日本資本主義発達史の研究に従事し、高い水準の仕事をぞくぞく発表してきました。財政研究は主としてわたしのセミナーで、資本主義発達史は東大社会科学研究所の大石嘉一郎さんのもとで研鑽をつまれたと思います。そしてこのふたつの流れの合流点に金澤君は自分独自の研究領域を開拓し、確立しました。それが日本地方財政発達史研究です。それまでの地方財政研究が法律・制度の解説や理念的な主張に偏ったものが多かったのにたいして、金澤君は、資本主義の世界史的な発展のあり方と、その中におかれた日本資本主義の特殊な位置と、その特殊な位置にある日本資本主義の明治以来の発達の諸段階を確定し、それが日本の地方財政をどう規定したかと問題を立て、透徹した資料解析と緻密な実態調査をふまえて解明してきたのです。最近は現代福祉国家における地方財政研究へと議論の射程を伸ばし思索を深めています。それは、日本の地方財政の実態の解明であると同時に、科学としての地方財政学の方法の提示そのものでもあります。
では、そうしたものとして金澤君の学問は完成したのでしょうか。そうではありません。わたしのみるところ、これまでの膨大な研究業績は、完成体を構成する部品としておよそ八割がたできたところです。運命が、天が、金澤君に藉すにあと数年の歳月をもってすれば、わたしたちは八合目ではなく、四方を見渡せる頂上の高みに、すなわちたとえば日本地方財政研究とか日本地方財政発達史とタイトルが付された大著に導いてもらえたに違いないと信じます。惜しみても余りある早すぎる他界だったのです。
最後にお礼とお詫びを申し述べたいと存じます。金澤君は日本財政学会や日本地方財政学会など全国的な財政学関係の学会の最高責任者として多大の貢献をし、学会員の敬愛の的でしたが、ここではもっとスケールの小さな集まりのことにふれます。金澤君の学年前後の大学院卒業生たちが、卒業後も引き続いて仲間として研究を続けようというので、指導教授だった加藤榮一さんとわたしも加わった研究会ができ、外からの人も交えて現在まで続いています。メンバーが外に発表した論文や著書の多くはあらかじめここで議論の材料となり、揉まれたもので、金澤君の場合もそうです。十数人の小世帯ですが、大学院時代をそのままもちこんだ、学問の香りに満ちた自由で明るく楽しい会です。はじめのうちは加藤さんやわたしがリードしていましたが、現在は金澤君の世代が担っています。そこでの研究討論では今や金澤君が最強の牽引車ですが、加えて会全体の方針決定から日常雑事の処理の多くを金澤君が引き受けており、その目配りや他人への配慮が、この居心地のいい小宇宙の回転の動力・潤滑油でした。ただ金澤君の有能をいいことにそれに甘えて酷使し、疲労を蓄積させ、今回のことにつながったとすれば、わたしたちメンバーは取り返しのつかない過ちを冒したことになり、ご本人とご遺族にお詫びしなければなりません。
もうお別れです。金澤君、君と一緒に学問ができて楽しかったよ。
さようなら。

右の文は2009年6月19日に行なわれた故金澤史男君(横浜国立大学大学院国際社会科学研究科教授、1953年生、2009年6月16日他界)の葬儀にあたって捧げた弔辞である。痛惜の情は時が流れ季節が移ろうとともに深まるばかりだが、それはもう繰り返すまい。ここでは残された研究仲間のひとりとして、今後のことに触れておきたい。
金澤君は地方財政の理論や歴史、地方分権論、政府間財政論、都市財政史、府県・町村財政史、福祉国家財政論など広範な分野で学界の最先端を形成する多彩な研究を遂げたが、弔辞でのべたように、それらをまとめた体系的な書物を編むいとまもなく去っていった。学界の貴重な共有財産としてその散逸を惜しみ、ご本人の生きた証を書物として手にしたいという多くの人々の声に押されて、いま親しい研究者仲間によって、遺稿集二巻が編纂されつつあり、長年金澤君に業績発表の場を提供してこられた日本経済評論社が出版の労を執ってくださることになっている(他に青木書店からも一点出版の計画)。
まだ仮題であるが『近代日本地方財政史研究』と『福祉国家と政府間関係』の二冊で、故人の研究領域全体をカヴァーしながら、核心をなすと思われる論文たとえば「貯金部資金と地方財政──一920〜30年代における国と地方の財政金融関係」や「日本における福祉国家財政の再編」など、精選したものになるはずである。また青木書店版は『自治と分権の歴史的文脈』(仮題)で、生前からあった計画を生かしたものである。いずれもありがたくうれしいかぎりである。だが悩みもある。出版資金である。出版社の好意を無にしないために、なんとかみんなで資金を確保してゴールに辿り着きたいと念願している。
[はやし たけひさ/東京大学名誉教授]