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  • PR誌『評論』227号:ワルラス『社会経済学研究』の不思議な魅力

ワルラス『社会経済学研究』の不思議な魅力

御崎 加代子

現代経済学のパイオニアとして知られるレオン・ワルラス(1834~1910)が1896年に刊行した著作『社会経済学研究(Études d‘économie sociale)』は、重要な著作であるにもかかわらず、長い間、翻訳がなされなかった。ワルラス没後100年にあたる2010年にやっと初めての英語訳(ウォーカー&ファンダール訳)が出版され、日本語訳の出版は今回が初めてとなる。ワルラスの主著『純粋経済学要論』(初版1874-1877年刊行)は、手塚寿郎によって最初の日本語訳が1933年に出版された(ジャッフェによる最初の英語訳よりも21年早い!)。それから90年たって、やっと『社会経済学研究』の日本語訳を刊行することができたということになる。

翻訳が長く実現しなかった理由のひとつは、本書の内容の難解さにある。読者の方々はこの本をどう読まれるだろうか、訳者としては不安を感じつつ、刊行の日を迎えた。それ以来、多くの方々からコメントをいただいている。「感動した」、「楽しく読んでいる」、「わかりやすい」という感想も寄せられていることは、訳者にとってうれしい驚きである。

言うまでもなく、ワルラスが主著『純粋経済学要論』で展開した「一般均衡理論」は、20世紀に大いに発展し、現代の経済理論(特にミクロ経済学)は、ワルラスの考え方を出発点としている。一方、ワルラスは「科学的社会主義者」でもあった。一般均衡理論は、自由競争や市場の自動調整メカニズムの有効性を正当化するために用いられる理論である。では「社会主義者」ワルラスは、一体なぜこのようなモデルを構築したのだろうか? その謎を解く鍵は『社会経済学研究』の中にある。

ワルラスの社会経済学と純粋経済学との関係、あるいは社会主義思想と一般均衡理論との関係については、様々な解釈がなされてきた。例えばシュンペーターは、ワルラスの純粋経済学は素晴らしいが、社会経済学は検討するに値しない内容であるとした。またワルラスは青年時代には社会主義者であったが、ローザンヌ大学で教職を得てからは自由主義者に転向したという解釈も根強く残っている。あるいは1930年代の社会主義経済計算論争で、オスカー・ランゲ(1904~65)が主張したような市場社会主義のモデルとしてワルラス一般均衡理論を理解する考え方もある。しかしながら、もしワルラスが生きていたら、これらの解釈はすべて誤りであると主張したであろう。

様々な誤解が生まれた背景には、『社会経済学研究』がその難解さゆえに普及しなかったことがある。ワルラスは、主著『純粋経済学要論』と同じように体系的な内容をもつ著作を、社会経済学についても刊行することを目指していたのだが、健康上の理由で断念し、公刊済の論文を集めて『社会経済学研究』を刊行した。そのため『社会経済学研究』には体系的な説明が不足し、テキストを読むだけでは、理解が難しいのである。

難解であるにもかかわらず、『社会経済学研究』には、経済学の古典の枠におさまらない不思議な魅力がある。まず本書は、ワルラスの青年時代から晩年に至るまでの、社会正義に関する論考によって構成されている。若きワルラスの講演録が多くを占める第Ⅰ部は、はちきれんばかりの情熱にあふれているが、強引な主張も少なからず見受けられる。それに対して後半は、理路整然とした論調ではあるが、皮肉や愚痴が多くなる。このようにワルラスの人間的な側面に触れることができるのが本書の魅力のひとつである。第二に、本書を通読するのはたしかに非常に骨の折れる作業であるが、あちらこちらに魅力的な文章が展開されていて、拾い読みをするのは実に楽しい。もともと本書は論文の寄せ集めなのであるから、読者の方々には、自分の興味に従って好きなところから読んでいただくのがよいかもしれない。第三に、本書はワルラスが、哲学、文学、芸術など、人文科学全般に強い関心をもっていたことを示している。理論経済学者として名を遺したワルラスだが、青年時代は文学と芸術評論の道を志していた。小説を執筆したこともあるが、文学的才能がないことを周囲から指摘され、25歳の時に父親の説得で経済学に転向したのである。このようなワルラスの豊かな知的源泉を知ることができるのも本書の魅力である。

[みさき かよこ/滋賀大学教授・国際ワルラス学会元会長]