伊藤詩織裁判の五年をふり返って

中川 辰洋

2022年7月7日、伊藤詩織さんが山口敬之元TBS記者による性暴力被害にあったとして損害賠償を求めた民事訴訟につき、最高裁第一小法廷は双方の上告を退けた。この結果、前年1月の二審の東京高裁判決が最終的に確定し、元記者が同意なく性行為に及んだと認定、332万円の損害賠償を科す一方、元記者の名誉を毀損されたという訴えも一部認め(食事中にデートレイプドラッグを使用したという部分は証拠不十分)、伊藤さんに対して55万円の支払いが命じられた。

伊藤さんは記者会見を開き、現行刑法の「〝不同意性交=犯罪ではない〟というところに目を向け、今後の法改正に注目してほしい」とのべて引き取った。「五年間闘ってきた裁判が区切りを迎えました。当事者としての声を発信するのはこれっきりにしたい。これまでの学びを伝えるという仕事で還元していけたらなと思っています」。

顧みれば、伊藤さんは2015年4月、就職相談のため元記者と都内で食事をしたさい、意識を失い、ホテルで性的暴行を受けたとして被害届を提出した。警察は準強姦事件として捜査を開始、6月に元記者の逮捕状が発行されるも逮捕直前に取り消された。その元記者だが、「合意に基づく性行為」であったと反論、東京地検は翌年7月、嫌疑不十分で不起訴処分とした。ために伊藤さん検察審査会に不服申請、けれども審査会は「不起訴を覆すに足る理由がない」として訴えを退けた。

これを受け、伊藤さんは「望まない性行為で重大な肉体的・精神的苦痛を被った」として、2017年末元記者相手に慰謝料1100万円の損害賠償を求め東京地裁に民事訴訟を起こす。かたや元記者も性行為は伊藤さんとの同意の下で行われ不法行為はなかったと反駁、かつ伊藤さんが性暴力被害を訴えたことで自身の名誉が毀損されたとして慰謝料等1億3千万円の損害賠償や謝罪広告の掲載を求めて反訴した。2年後東京地裁は彼女の主張を認めたが、元記者は翌年1月東京高裁に控訴する。

伊藤さんのようにノーマスクで性暴力被害を直接語る事例が皆無だったため、裁判よりも彼女のプライベートな部分(経歴、容姿、服装等)が好奇の的となるあまり、安倍晋三首相(当時)と昵懇の間柄と自慢顔の〝半権力〟人間はジャーナリストなのか、元記者の逮捕はなぜ取り消されたのか、不逮捕・不起訴処分の裏に何かあるのでは──といった肝心かなめの問題は掘り下げて報じられなかった。事実、逮捕状を手に成田空港で元記者を待ち構えていた東京高輪署の捜査員に上つ方から直前に待ったがかかった。安倍政権の菅義偉官房長官が目をかけた警察庁の中村至刑事部長(当時、後に長官)の指示だった。

メディア業界にしてみれば、身内が訴えられ心中穏やかではなく、何かと肩を持ったため、伊藤さんがつらかったのは明白だ。それでも、#MeToo運動などが日本でも紹介され支持が広がっていったことは彼女を勇気づけた。

地裁判決の翌春、大学教員だった筆者はフェミニズムや#MeTooの紹介を兼ね〈欧米メディアは伊藤詩織事件をどう報じたか〉と題し独週刊誌 Der Spiegel(英語版)、英紙Financial Timesなどの記事・レポートを教材に講義をした。事件の経緯、背景を掘り下げて分析し、日本メディアが報じない事件の深層に迫っていたからだ。

恥ずかしながら、当代のフェミニズムを〝ウーマンリブの二番煎じ〟と見付けた中高年に比べ、若者は伊藤さんの行動に共感を抱いているのではという事前の予想は見事に外れた。たしかにフェミニズムを勉強したいという女性受講生が少数ながらいた。しかし大方の女性たちは無関心を装いつつ「かわいくて頭がいいと己惚れているからマジむかつく」、「悲劇のヒロインかよ、おめェ~は」と陰口を叩くか、「セックスはヤルもン、語るもンじぁねェし」と臆面もなく言ってのけた。

それもそのはず、「ジェンダーとかよくわかンないけど、伊藤さんはかわいいし、応援しよッかな」という男心を彼女たちは先刻承知之助だから、伊藤さんの肩を持つ男どもに我慢ならなかった。妄想の嫉妬というやつだ。

くだんの女性連の心情に特段悪意があるというのでは決してない。だからこそ、怖い。昨今「女子力」という言葉をよく耳にする。例えば、「市販のルーを使って初めてカレーを作ったよ。私の女子力はアップした」のように。男女差別はNG、逆差別はEね、ということか。

嘆かわしい話だが、5年余の闘いから伊藤さんが得た「学びを伝える仕事」の先行きを憂うるのはひとり筆者だけではあるまい。

[なかがわ たつひろ/著述業]