技術者の方々から教わったこと

市原 博

日本企業の技術者の職務と能力、人事管理に関する調査研究を私が始めたのは1990年代の後半であった。この頃は、自動車産業や電機産業、半導体産業など、強固な国際競争力を実現している産業が多く存在していて、経営関係の学会では、その国際競争力を生み出した要因を探求しようとする議論が活発になされていた。そこでは、「日本的生産方式」の効率の高さを主張する精緻な議論が広く支持されるようになっていた。

しかし、私はこうした議論には大きな欠落があるように感じていた。「日本的生産方式」論では、職場の作業集団の改善応力の高さやフレクシビリティ、品質管理への積極的な取り組みなどが高く評価される一方で、技術を開発し、機能やコストを決める設計を行い、その製造工程を作り上げた技術者たちの役割が正当に位置づけられていないように感じたからである。こうした問題意識で勉強を始めた私が出会い、衝撃を受けたのが、高宮誠東京大学助教授の研究であった。大学院に進学して間もなく、高宮さんのアメリカ鉱山労組の研究に接した時、すでに高宮さんは世を去られていた。それから20年近い時を経て、技術者の研究で高宮さんに再会することになった。文化論的な「日本的経営」論が幅を利かせていた1970年代末に、高宮さんは、英国企業と対比した日本企業の優位性の源泉を、設計とエンジニアリング部門のエンジニアの間での組織間調整の効果と、それを生み出した能力開発の在り方に求めていたのである(*)。高宮さんが夭逝されなければ日本の研究状況は全く違ったものになっただろうという感慨と、技術者の果たして来た役割を歴史的に解明してみようという意欲を強くした。

とはいうものの、技術者の職務行動・能力の在り方や職務上の相互関係など、文献資料を重視する歴史研究の方法が適用しにくい領域なので、どうすれば課題に接近できるのか、見当がつかなかった。結局、技術者の方々へのインタビュー調査と、人事記録を探して彼らの職務キャリアの調査を行うことにした。インタビュー調査は技術情報という最も重要な企業秘密の漏洩につながりかねないし、キャリア調査はまさに個人情報を暴き出すことになるので、どちらも簡単に進められるものではなかった。協力してくださりそうな方に片端からアクセスを試みた。

インタビュー調査は、人事管理担当者や労働組合活動家を対象に経験があったが、技術者の方々へのインタビュー調査は厳しいものであった。なにしろ多くの方が工学博士なので、「先生の研究計画を説明してください」などと問われることも多く、すごく緊張したことを覚えている。それだけに、文系に閉じこもっていたのでは得られない知識に触れることもできた。

まず、1997年に始めた東芝のインタビュー調査では、調査の趣旨を説明する際に「日本の製造業の国際競争力の強さ」という言葉を使ったところ、窓口になってくださった方から強く批判された。「すでに日本企業はアメリカ企業に逆転されている。文系の学会は、いまどきそんな時代遅れな認識で研究しているのか。まるでだめだ」という手厳しい言葉であった。別の複数の方には、文系の学会ではQCサークルが高く評価されていると伝えた際に、「そんな議論をしているのか」と驚かれた。製品のコストも機能も設計段階で90%以上決まってしまうので、製造現場での工夫が貢献する余地はあまりないというのが彼らの認識であった。日本の技術開発の優位性の要因である技術者間の情報共有を支えていると当時広く認識されていた職能を越えた技術者の人事異動についても、「ありえない」「見たことがない」という言葉を貰うことが多かった。仕事に直接役立たない大学文系の勉強とは違い、理系の学習は仕事に直接役立つ内容になっているという言説もあるが、日立の幹部技術者の方は、就職して最初に言われたことが「大学で勉強して来たことは役に立たん」という言葉であったと語られた。このように、技術者の方々との交流を通して得た知識と刺激は大きかった。日本では文・理の壁が高く、文系の研究者が技術者を対象とするのは困難ではあるが、浅学非才な私の限界を超えて、優秀な若手研究者が壁を乗り越えてくださることを期待している。

*TAKAMIYA Makoto “Japanese Multinationals in Europa” Discussion paper, International Institute of Management, Berlin, 1979

[いちはら ひろし/獨協大学教授]