神保町の窓から(抄)

▼5月末に小社で作った、町政民主化、暴力追放を主題とする『本庄事件──ペン偽らず』(朝日新聞浦和支局同人著)が、ご当地・埼玉県本庄市で話題になっている。発売以来、本庄市の書店からの注文が500冊を越えた。事件は60年も前のことなのに、暴力団と闘った青年たちのおこないは、今も忘れられてはいなかったのだ。この本を台本にした山本薩夫監督の映画『暴力の街』が上映されることになった。市の商工会議所の音頭とりで、2日間にわたり、計6回も上映された。観にいってみた。元パチンコ屋の仮設ホールは100人を越す観客で埋め尽くされていた。遅れてきた人は、後ろの方で立ち見である。年配者が多いのは映画の中身からいってやむを得ない。
 物語は利根川に架かる坂東大橋でのヤミ銘仙検問から始まる。この冒頭からすでに織物業者と警察の癒着が暗示されている。バックに赤城山の全容が映っているのは「国定忠次」を意識してのことだろうか。細部は本書を読んでいただくことにして、当時の町並みが映るたびに、おじいちゃん、おばあちゃんが「知ってる、知ってる」とか「この店はつぶれたなあ」などと囁きあっている。山場、青年たちの力で町民大会が開かれる場面では、涙ぐみ、鼻水をすする人もいた。それは悲しい涙ではなく、明るい街を作ろうと一途に町民を説得して歩く青年の姿への共感と、年表に書かれるほどの民主化闘争を戦いぬいた、この街に育ち死のうとしている本庄人としての誇りではなかったろうか。私も異郷の者ながら人々の後ろ姿をみて、ハンカチを目にあてた。本庄の現地で観る『本庄事件』は、神保町のヨシモト・シアターで観るのとは大違いであった。行ってよかった。われわれが作った本が列をなして買われていく姿も、この会社始まって以来、初めて見た体験であった。案内してくれたご当地の旧いガールフレンドが耳もとでささやく。「いい本作って、よかったね」。この励ましで疲れが一遍にとれた。
 ところで、不思議なことがある。『本庄事件』を作ってすでに4ヶ月。朝日新聞には数回の広告を出した。一面サンヤツにも出した。『週刊朝日』にも何回か出している。それらしき要所の方にも贈呈した。なのに、と云ってよいだろう。朝日に勤務する現役の方からの反応はゼロだ。礼状もなし。戦後間もなく日本民主化のために闘った朝日の先輩、浦和支局の記者たちの活動を知っているのだろうか。本庄の人と朝日をはじめとするマスコミ関係の人には是非読んでもらいたいと思って作ったのに、少しだけガッカリした。
▼零細出版社で組織する「NR出版会」なる営業団体がある。その事務局に勤務するT嬢が結婚した。東京の山奥にある小学校教師の青年が相手だ。中野の呑み屋を借り切って祝う会をひらいた。2人とも30には間がある。「希望」とか「夢」という言葉がまだ似合う年頃である。祝う側は、何十年も前に所帯をもった連中ばかり。一様に眩しげに2人をとりかこんだ。祝辞を所望された。「どちらも勝手に歩き出さないこと、先に歩いていたら立ち止まり振り返って待つこと、寂しくなったら手を握り合うこと、そしてお互いの温度差を確かめること」そして何よりも「呼びかけあうこと。貧乏とは金のないことではない。腹を割って話し合うことのできる友達がいないことだ」と自分にはできなかったことを、反省を込めながら、それらしい顔で話した。2人は嬉しそうだった。こちらも心から祝った。純真な心が汚されないよう、前途の平らかなることを祈ります。
▼出版社は本を拵え、それを売って食っている。著者は著作権をもっている。その他人の所有物を第三者が、勝手に全ページをコピーして不特定の人に売ろうとしている……これが「Google グーグル」という大資本がやり始めた泥棒に相当する行為である。昔から海賊版というモグリ出版はあったが、そんなかわいいものではない。調べてみた。小社の刊行した本も、復刻本を中心にすでに数百点がスキャンされていた。著者にも出版社にも何の断りもなしにだ。こんなことが罷り通ろうとしている。出版流通対策協議会(流対協)は右のような行為に対して拒否宣言をした(正しくはグーグルブック検索の和解離脱という)。会員社を含む950の出版社に呼びかけた。小社もこの拒否宣言に賛同した。
 国会図書館も大学図書館も、図書館に来なくても本が読めるよう電子の世界で対応しているが、紙に印刷して、バインダーして、書店に並べて……という、こんな手間のかかる「本」というものの運命を考えざるを得ない。本には目方がある。読書や学習は、この目方と手触りとを実感して成り立ってきた。感動とはバーチャルではない。実感なのだ。と、こんなふうに吠えていても、情報社会はどんどん進化する。おいてけぼりを食いそうな予感もないではないが、紙にインクで印刷する方式しか承知していないわれらは、明日もまた今日と同じように「本」「書籍」「図書」を作るしか能がない。それに文句を云う奴はおるまいが、心細いなあ。     (吟)