経済安全保障の時代

長谷川 将規

新型コロナウィルスの大流行は、中国という国家との付き合い方の難しさを改めて我々に突きつけた。サプライチェーンを中国に頼っていたマスク等の物資が街角から消え、困惑したことも記憶に新しい。しかし、世界各国が中国に依存する物資は他にも多数存在するし、その中には安全保障に重大な影響を及ぼしうるものも存在する。例えば5G(第五世代移動通信システム)の通信機器がそうだ。もしも中国製5Gが世界を席巻するようになれば、民主主義国の機密情報が権威主義国に漏洩するおそれがある。2017年に中国共産党政府が制定した「国家情報法」は、中国企業や中国国民に情報収集活動を強いる性質をもち、こうした懸念に一定の現実味を与えるものだった。事実、米国は2019年から中国通信機器大手ファーウェイへの規制を本格化させ、イギリス、豪州、日本、フランスなども基本的に米国に協力する姿勢を示すに至っている。

他にも、中国への依存が懸念される物資としてレアアース(希土類)がある。この鉱物資源は、パソコン、スマートフォン、カメラ、光ファイバー、LEDなど実に多様な製品に利用されている。電気自動車のバッテリー、風力発電機などにも使用されるため、脱炭素化を進める上でも重要視されている。また、ミサイル、レーダー、軍用ジェット機のエンジンなどにも使われるため、軍事的にも重要な意味をもつ。そして、日本や米国などの民主主義国が、中国にレアアースを大きく依存している。中国が何らかの理由でこの重要資源の供給を断絶させるという懸念は、決して杞憂とはいえない。実際、2010年の尖閣諸島沖漁船衝突事件では、日本へのレアアース輸出が事実上停止される事態が生じている。

「経済」に絡む中国への懸念は5G通信機器やレアアースなどの供給問題だけではない。中国は、今世紀以降、貿易や投資など「経済」を武器にして他国を懐柔したり、隷属させたり、脅迫したりしてきた。そのターゲットとされた国や地域は、ASEAN、台湾、EU、日本、フィリピン、ノルウェー、スリランカ、韓国、豪州、スウェーデンなど多数存在する。例えば、2020年に豪州が新型コロナウィルスに関して独立した国際調査を求めた際、中国は豪州産のワイン、牛肉、ロブスター、石炭などの関税引き上げや輸入停止を行った。また、2021年にスウェーデンの衣料品会社H&Mがウイグル人の強制労働問題に懸念を表明した際には、同社の商品が中国国内でのネット検索から排除された。

本年2月24日にロシアがウクライナに軍事侵攻して以降、テレビ、新聞、ネット等のメディアでこの問題が扱われない日はない。筆者の周りでも様々な識者が現状分析や将来予想を提供している。だが、今後NATO諸国とロシアが軍事的に衝突したり、それに乗じて中国が台湾に軍事侵攻したりしない限り(つまり第三次世界大戦が生じない限り)、今世紀の世界政治で最も深刻で重要な問題は、おそらくもっと別の所にある。

近年、米中「冷戦」という言葉が散見される。しかし、今日の世界は、かつての冷戦時代とはまったく似て非なる世界であり、本質的に異なる世界である。なぜなら、今日の世界には冷戦時代にはあまりみられなかった現象──「脅威国との密接な経済交流」(Close Economic Exchange with a Threatening State 以下CEETS)──が存在するからである。より具体的にはCEETSとは、「中国」と「中国を脅威と認識している国々」(以下、被脅威国)との間に存在する、密接な通商関係を意味している。米国や日本を含む被脅威国にとって、CEETSは厄介なジレンマである。CEETSを続ければ、自分たちが脅威とみなしている中国の経済力(とそれを基盤とする軍事力)を強化してしまうし、自分たちの中国経済への依存が深まり、中国の経済的な懐柔や圧力に脆弱になってしまう。しかし、だからといってCEETSをやめてしまえば、自分たちの経済が衰退し、国民からの不満も高まって政権が動揺する。

こうしたジレンマに対して米国のトランプ大統領が出した答えが、いわゆる「デカップリング」(中国との経済関係の劇的な縮小)であった。しかし、中国との通商関係を急激かつ全面的に断絶してしまえば、それは経済的カオスをもたらすだろう。これまで多くの諸国を繁栄に導いてきたリベラルな国際経済秩序も崩壊してしまう。ではこれまでどおり中国と密接な経済交流を続けるしかないのだろうか。しかし、それは、今世紀に入ってからの約20年間、西側諸国が「経済的関与」(economic engagement)と称して中国に行ってきたことの継続に他ならない。これまで西側諸国の政治家、学者、マスメディアの多くは、経済交流を深化させれば、中国は豊かになって経済の自由化が進み、経済の自由化が進めば政治の民主化が進み、政治の民主化が進めば中国外交の穏健化が進み、より平和な世界が実現すると説いてきた。だが、こうした主張は今日ほぼ画餅に帰した。中国はたしかに豊かにはなった。だが、経済が自由化することはなく、むしろ国家と共産党が経済を支配する国家資本主義が進み、政治も民主化することなく、むしろ国家元首の任期制限が撤廃されて習近平体制の独裁化が進んだ。外交も穏健化するどころか、南シナ海、東シナ海、台湾海峡、ヒマラヤ山脈で地政学的な対立を深めている。

冷戦時代、米ソ間には目立った経済交流はほとんど存在しなかった。そうした世界では、人々は「経済」と「安全保障」を分けて生きていくことができた。現在は違うし、将来も違う。世界政治は、「経済」と「安全保障」が混然一体となり、「経済安全保障」(安全保障のための経済手段)の観点なくしては、理解も解決も不可能な時代に突入した。今繰り広げられているロシアとウクライナの戦争。そこでもまさに「経済安全保障」が垣間見られる。西側諸国は、主要銀行のSWIFT追放、最恵国待遇の撤回、対外資産の凍結などでロシアを締め上げている。ロシアはロシアで、政策金利の引き上げ、外貨の購入禁止、天然ガスの輸出禁止の恫喝でこれに対抗している。中国はどう出るのだろう。準同盟国ロシアへの経済制裁に嫌々加担するのか。それとも銀聯カードの提供、ロシア産品の積極購入、ドルやユーロを介さない決済網の構築などでロシアを支えるのか。

世界は「経済安全保障の時代」に突入した。今日の世界を知り、未来の世界を占う上で、経済安全保障は、なくてはならない重要な視座になっている。

[はせがわ まさのり/湘南工科大学教授]