ドン・ブラウンと日本とアメリカ

中武香奈美

今春、横浜国際関係史研究会(通称ドン・ブラウン研究会)と筆者の属する横浜開港資料館は、論文集『GHQ情報課長ドン・ブラウンとその時代──昭和の日本とアメリカ』を刊行した。ブラウン(1905〜80)は戦前の日本でジャーナリストとして活躍し、帰国後は戦時情報局で対日宣伝ビラ(伝単)作成等に携わり、占領期には民間情報教育局情報課長として日本のメディア全般の「民主化」政策にふかく関わった。本論文集では、ブラウンやその関係者を通して戦前・戦中・戦後の日本とアメリカを取り上げた。
横浜開港資料館と占領期資料という取り合わせに違和感を覚える方がおられるかもしれない。当館は開港期を中心とする横浜に関する資料の調査、収集、研究、普及のため1981年に設立され、間もなく30年を迎える。収集資料は幕末から昭和戦前期までを守備範囲としているが、実際は必ずしもこの枠に収まらない。例えば個人がのこした資料の受け入れに際して基本的にその一生涯に関わる資料をすべて受け入れ、時代で取捨選択しない。「ドン・ブラウン・コレクション」もそうである。開館後間もなく入手したこのコクレションは日本関係図書約一万点と逐次刊行物約800件、占領期を中心とするブラウン関係文書で構成され、この内、図書と逐次刊行物が近代対外関係資料として収集対象となった。
その存在を教えてくれたのはブラウンの友人、ポール・C・ブルーム(1898〜1981)であった。横浜山手の旧外国人居留地で生まれ育ったブルームは戦後、初代CIA東京支局長をつとめ、引退後も日本に留まったが、晩年、帰国を決意し、日本関係蔵書「ブルーム・コレクション」を当館に譲渡した。80年に死亡したブラウンのコレクションもまた、遺産管財人のトーマス・ブレークモアを通じて当館に収まった。厖大な二人の蔵書は、日本と西洋世界との交流の跡をたどろうとする者にとってまさに宝庫であり、現在、一般公開している。
しかしブラウン関係文書の方は占領期のものが多く本格的に扱えないでいたところ、ようやく専門家の揃った横浜国際関係史研究会にブラウンとそのコレクションの総合研究を委託することができた。九九年に立ち上げられた同研究会は北河賢三氏を代表に、赤澤史朗・天川晃・今井清一・枝松栄・大西比呂志・吉良芳恵・寺嵜弘康・山極晃・山本礼子の諸氏がメンバーとなった。ブラウン関係文書を基に始まった研究は、ブラウンの足跡、とくに半世紀に及ぶ日本との関わりを追っていくにつれ、次第にブラウンという一個人研究にとどまらず、戦前・戦中・戦後の日米関係史研究へと広がっていった。
幕末期のペリー来航によって本格的に始まった日米関係史は、横浜の歴史にとっても今もって重要なテーマであり、研究成果は二度の企画展示や図録(『図説 ドン・ブラウンと昭和の日本』有隣堂)の出版を可能にした。当館にとって展示や図録も論文集刊行同様、研究成果の重要な普及手段である。
本論文集に収録された七本の論考は、①今井清一「欧米人ジャーナリストの日本政治論」/②寺嵜弘康「明治天皇聖蹟顕彰運動の地域的展開」/③森岡三千代「ホノルル戦時情報局の対日宣伝ビラ」/④大西比呂志「横山雄偉と昭和の政界」/⑤山本礼子「対日占領期アメリカの『民主主義』啓蒙政策」/⑥中武香奈美「占領期の翻訳権問題とブラウン」/⑦天川晃「ドン・ブラウンとジョン・マキ」である。
論考③の執筆者、森岡氏はシアトル在住の美術史家である。ホノルル戦時情報局で対日宣伝ビラを実際に作成したフランシス・ブレークモア(1906〜97)に関する研究を寄稿していただいた。フランシスは戦後日本で、ブラウン指揮下の情報課展示係のチーフとなり「民主化」の広報活動を担った。夫、トーマスも戦前の東京でブラウンと知り合い、戦後、政治顧問部の一員として再来日し、民政局では日本の裁判所法、刑事訴訟法の改正に重要な役割をはたした。森岡氏は晩年のブレークモア夫妻と親交があり、フランシス関係資料を託された。本論文集ではこの新資料中の多数の宣伝ビラを丁寧に分析し、フランシスの日本人観とその背景を明らかにしている。       [なかたけ かなみ/横浜開港資料館主任調査研究員]