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  • PR誌『評論』224号:本間義人先生を偲んで 新聞記事の社会資本課題は社会からの逆照射

本間義人先生を偲んで 新聞記事の社会資本課題は社会からの逆照射

檜槇 貢

官民を問わず社会資本は投資され使われるだけでは国民のものとはならない。日刊紙等の新聞に掲載され国民の目にふれて初めて社会のものとなる。そんな思いをもってデータの収集と分析を進めた。その成果が『新聞にみる社会資本整備の歴史的変遷』の三部作である。

第一部は明治5年から大正期までの明治・大正期(1986年刊行)。第二部は昭和元年から昭和35年までの昭和期(1987年刊行)。第三部は昭和36年から昭和55年までの高度成長期(1990年刊行)。一部と二部は同じ手法をとり、第三部は地方ブロック紙ごとの対応となった。対象とした期間は通算で108年におよんだ。いずれの成果もNIRA OUTPUT(研究報告書)以外にクロス装による日本経済評論社版が出版された。

この途方もない調査研究企画は本間義人さんとスポンサーとなった総合研究開発機構(NIRA)の下河辺淳理事長(当時)によるものだった。下河辺さんから明治以降の新聞に掲載された社会資本研究の実施を直接依頼されたと本間さんに聞いた。1983年の夏だった。下河辺さんは戦後以降の国土開発の構想に関わりつづけ、元国土事務次官を経験した中央官庁における国土政策のリーダー。本間さんといえば政府の土地住宅政策を鋭く批判するジャーナリスト。お互いに意見が合うとは私には思えなかった。本間さんは実際の社会資本政策のあり方に、下河辺さんはジャーナリズムによる筋論からの批判記事にそれぞれ不満があったのではないか。この二人がわが国近現代の新聞社会資本研究を合意した。政策論争を超えて新聞研究に辿り着いたのかもしれない。二人はすでに鬼籍にあって、そのいきさつはわからない。

作業は他の追随を許さない本格的なものだった。第一部と第二部の作業は国会図書館と東京大学新聞研究所(現・東京大学大学院情報学環・学際情報学府の一部)に所蔵されたマイクロフィルム(東京日日新聞と大阪朝日新聞を中心)からの転写を基本とした。記事を一つひとつコピーし内容を解析し分類整理する手順をとった。作業場所に6台のマイクロリーダーの機器を持ち込んで進めた。分析対象とした記事数は約6万9000件に達していた。分析整理の大区分は第一部、第二部ともに、「国土・地域開発」「住宅都市問題」とした。第三部の地方ブロック紙は北海道新聞、河北新報、中日新聞、西日本新聞であって、各紙の記者OBが作業にあたった。それぞれの地域の変動や開発動向に関する記事や特集等をとりまとめていただいた。共通するのは過密過疎、巨大開発、大規模交通、地価高騰等であった。

本間さんは第三部の報告書に第一部と二部を含めた新聞にみる社会資本整備という作業について次のように書いている。「新聞からとらえられる社会資本整備とそのプロセスは計画・供給サイドからの情報だけではなく、社会資本が投入される実際の社会からの逆照射としての事実・状況・意見の中にも見ることになる」(『主要地方新聞にみる社会資本整備の変遷 高度経済成長期』1頁)と生活現場の立ち位置の大切さを指摘している。

1994年に本間さんの企画によって御厨貴(当時東京都立大学教授)と私の三人で下河辺さんへのインタビューを行い、『戦後国土計画への証言』(日本経済評論社)の出版につながった。この図書も、社会資本整備の計画的対応の記録として貴重なものである。

私ごとになるが、2003年3月には私は本間さんの論文指導により法政大学大学院人間社会研究科から博士号の学位をいただいた。その論文は編集後に『市民的地域社会の展開』(日本経済評論社、2008年)として出版され、2008年度の日本都市学会奥井賞を受賞した。

この調査研究後、関係資料はしばらく日本都市センター会館倉庫に保存されていたが、会館の建替えと二〇数年前の私の異動・退職によって散逸した。その一部が2014年3月まで勤務していた弘前大学に移設されていたが、退職後の保存状況はわからない。今では報告書三冊が作業を推し量るものであって、原典に戻れる資料がない。

私が故郷の佐世保に帰り、新型コロナ感染症のこともあってこの8年ほど本間さんに会っていなかった。突然の訃報だった。40年もの本間さんとの交流が消えたことが残念でならない。

合掌

[ひまき みつぐ/元弘前大学大学院教授]