人の移動と国際政治

岡部 みどり

現代世界は、国境を越える濃密なネットワーク空間と国家間の紛争空間が併存している。それは、平和で多様な世界と国際競争世界のパラレル・ワールドのようでありながら、ひょんなことから相互に有機的な連関を伴って我々の前に現れる。2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻は、まさに、それが現実となった一例であろう。

一方では、それは権威主義体制のリベラル民主主義体制への挑戦であり、現状打破を志向する国による暴挙である。しかし、他方では、それは深まった国際的相互依存状態を持て余す人々、またこれに翻弄される人々の姿を捉えるスナップショットの集積でもある。ロシア国内の反戦機運の高まりは、混迷期の下克上ではなく、人権尊重や法の支配、民主主義を標榜するリベラル体制を世界大に広げようとする西側諸国の戦後の活動が奏功したものだろう。同時に、そこには、理想追求への情動だけでなく、もっと功利主義的な、リベラルでトランスナショナルな経済ネットワークへの固執という側面もあるだろう。

早期の平和回復が望ましいのは言うまでもない。しかし、今回の欧米側の勝利が仮にあったとして、それをリベラル民主主義の勝利と同義と捉えるには未だ時期尚早である気がする。少なくとも現在、リベラル国際秩序の危機は未だ去っていないのではないだろうか。

国際政治の研究においては、戦争は非民主的な政治体制が引き起こすものとされており、したがって、世界のあらゆる国家を民主主義国家へ転換させるための外交努力が必要だとされてきた。しかし、近年になって、どうもそのやり方が間違っているのではないか、リベラル国際秩序は躓いたのではないかという疑義が生まれてきた。

とりわけ、難民保護や移民管理を目的とする国際協力体制においては、欧米リベラル諸国やその授権機関であるところの国際機関は常に教条主義的で、既存の体制に与しない国々を遅れた国々とみなす。そういった進化論的な発想に基づく外交は冷戦終了後十数年経ち、次第に疑問視されるようになった。難民や移動を強いられる人々が存在する状況が一向に解決されないというだけでなく、当の旗振り役であるリベラル諸国の国内における分断(多くは格差の拡大に起因する)が深まる中、国の「外」で起こった人権問題に対する政治的コンセンサスを形成することが難しくなったからである。

この状況は、より本質的には、ポピュリズム、右翼の台頭、排外主義の台頭というだけの話ではないように思える。むしろ、そのような動きと、リベラル国際秩序観に基づく国際政治、人権をめぐるグローバル・ポリティクス、ディアスポラ・ポリティクス(移民が移住先国で出身国に有利な政治を展開しようとすること)などといった動きとの間の対立の構図として理解する必要があるのではないか。果たしてリベラル民主主義体制の危機は一時的なものなのか。リベラルな規範を尊重する人々が「我々は正しい」と信じ込むことで克服できるものなのか。そうではなく、グローバル化によってもたらされた格差の拡大、そして冷戦後に顕著となった国際構造の変化の中で、リベラル民主主義に基づく外交実践の正当性を内省する契機が訪れているのではないのか。

実のところ、これは難しい問いである。その大きな理由は、国際社会の平和を実現するという目的に照らして、リベラル民主主義に代わる有効な選択肢が見つからないことである。ピュアな現実政治(が仮にあったとして)への移行は、現代に生きる我々にとっては到底受け入れることはできない。しかし、グローバルな規模でのリベラル民主主義の実践は、置いていかれた人、貧しい人、不幸な人を「全ての国」が抱える事態を招いている。だからこそ、アメリカや欧州諸国の国内政治が動揺し、ロシアや中国がその間隙を突く状況が生まれている。

2月に刊行された『世界変動と脱EU/超EU──ポスト・コロナ、米中覇権競争下の国際関係』は、そのような迷路に直面するリベラル国際秩序の主導者としてのEUや欧米諸国、その挑戦者であるロシアや中国、そして両者を取り巻く国際社会の実像を明らかにするという試みである。読者からこの難題の答えを見つけ出していただくことを心から期待する。

[おかべ みどり/上智大学教授]