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フランス生まれの「社会的経済」と日本

石塚秀雄

日本において、「社会的経済」の認知度は未だに低いといってよい。1990年代前後には、社会的経済の概念は曖昧だとの批判をずいぶんと聞かされた。日本に社会的経済についての類似の現象がないので、納得させるのはなかなか困難だと思った。最近は「社会的企業」という言葉が日本でも広がりつつある。われわれは数年前に日本経済評論社から『社会的企業』を翻訳出版したが、世間ではどちらかというとアメリカモデルが注目されているようだ。
これまで社会的経済は、ドイツの批判者からは「社会主義経済」のようなものだと言われ、日本の批判者からは新自由主義に追従するものだと言われたりしている。あるとき「社会的経済のようなフランス仕込みの思想は」とマルクス主義派から言われたので、果たしてマルクスというのはどこの国の人であったのかと苦笑を禁じ得なかったことがある。そのような話は別としても、ともかく社会的経済の考えは日本ではなかなか広がりを見せない。その理由は、いろいろあろうが、日本においてはやはり、公的セクター(政府)と営利民間セクター(市場)の二分法的思考が根深いからであり、歴史的に見ても市民経済活動が弱かったという事情が大きいと思われる。
現行の日本の政治的経済的危機において、どのような展望と代案を提出できるのか。そこでフランスの社会的経済の本をさらに一冊翻訳することにした。フランスはやはり社会的経済の発生の地であり、その点でもっとも先進的である。次のようないくつかの特徴点を上げることができる。
第1にフランスにおいては社会的経済関係の法制度が進んでいることである。これは政府が社会的経済の存在と役割を一定程度認知していることを示すし、市民が経済的活動や社会活動を行うための制度整備が進んでいることを示す。たとえば日本での法整備は、戦後においていわば協同組合法しかなかったのである。その協同組合法も縦割りで一般法は存在せず、また労働者協同組合法も存在しない。アソシエーションに関しては1998年の特定非営利活動促進法(いわゆるNPO法)が一応の法律となるまで存在しなかったし、また共済組合法も公務員関係の規則を例外として、実際上の共済組合法は存在していないのである。また財団も日本的特殊性を持っており、市民的活動からはほど遠い存在にすぎない。だから日本では社会的経済の定義が困難なのである。
第2にフランスにおいては、運動のネットワークが構築されていることである。いわば従来型の農協や協同組合金融機関や労働者協同組合が、雇用や社会サービスの分野で「社会的企業」を支援している。翻って日本においては、そうした新旧の社会的経済グループ(たとえば農協・生協などと新しい事業型NPOなど)のネットワークづくりはほとんど取り組まれていない。
第3に、フランスにおいては、社会的連帯金融というべきものが始まっている。これは、社会的経済セクターあるいは非営利・協同セクターのスキームをバージョンアップさせるものとして評価できる。すなわち、従来の協同組合原則においては人々は出資者であったが、フランスの「勤労者貯蓄法」を援用して、社会的連帯金融により社会的企業を支援する人々が、勤労者にして投資家(資本家)の性格も持つことになる。日本における市民バンクやマイクロクレジットの試みはいまだ小規模のものであり、個人出資者が利子を受け取らないものであるが、フランスにおいては「勤労者による投資」にもなる。さらには社会的経済金融市場の形成が進みつつある。もちろんこの実験がどのように展開するのかについて楽観論は禁物であるが。
フランスの社会的経済は社会的要請である連帯と経済的要請である効率の両面を追求することに眼目を置いている。市場でどのように市民的民主的な社会的経済企業が振る舞うのか、また準市場および非市場において連帯経済はどのように市民の社会的政治的経済的活動を活性化し、それらをネットワーク化できるのか。この課題はヨーロッパのみならず日本においてもきわめて重大な課題となって近々直面することになると思われる。
                  [いしづか ひでお/都留文科大学非常勤講師、非営利・協同総合研究所いのちとくらし研究員]