• TOP
  • PR誌『評論』
  • PR誌『評論』222号:特集●「消費」研究の展望 サービス産業の史的分析に向けた消費研究の視座

特集●「消費」研究の展望 サービス産業の史的分析に向けた消費研究の視座

河村 徳士

筆者は、小運送業という研究史上ではやや馴染みの薄い産業を対象として、輸送産業史の一端を考察しようと自分なりの努力を積み重ねてきた。もともとは太平洋戦争期の物資輸送を解き明かし戦時統制経済の限界を実証的に考え、戦時期の歴史的な位置づけまで行おうという目論見であったが、次第に戦間期にさかのぼっていくうちに小運送業という得体の知れない沼から抜け出せなくなり相応の年月が過ぎてしまった。過大なテーマ設定を行ったおっちょこちょいが問題だったのかもしれない。しかし、少しの勘違いがなければ研究のスタートさえ切れないだろうから、それも仕方がないと思う。今もって鋭意、研究中である。
ところが、小運送業に煮詰まると欲が出てきて他のことも自分なりに考えたいと思ってしまった。そこで最近、消費にかかわることを考察対象に選ぶ機会を増やしてきた。その理由は、第一に、高度成長期からそれ以降の時代を考えてみたいと意識するようになり、こうした関心を深めるには、消費のあり方や産業構成のサービス化の様相が重要な対象になるのではないかと考えたためであった。第二に、政治経済学・経済史学会の音楽と社会フォーラムに参加し(共同研究も継続中である)、音楽産業をはじめとして、スポーツ産業、美容産業などのサービス産業と、製造業でもありながら相当程度サービス化を伴ってきたアパレル産業などに研究対象を拡げたいと考えたことがあった。第三に、小運送業が、小口化や荷主・輸送地域の多様化といった輸送需要の変化に応じてきた様相を考えることによって、この業界が鉄道輸送に対して荷役・集配作業を提供してきただけではなく、様々な輸送手段を使って輸送を完結させるサービスをも担っていたことを実証的に解明したいという思いからでもあった。
こうした問題関心を背景に拙い論文を少しだけ公表してきた。①「消費をめぐる議論の意義と音楽産業分析の可能性」『城西大学経済経営紀要』第三七巻(通巻第四二号)、二〇一九年、②「消費を対象とした日本経済史研究の視座にかかわる若干の考察──ヴェブレンとボードリヤールを参照軸としながら」『城西大学経済経営紀要』第三八巻(通巻第四三号)、二〇二〇年である。音楽産業をとりあげた論文では次のことを議論した(以下、①)。高度成長期に家計の所得上昇を背景とした大衆的な消費が経済成長を保証するような需要を提供したとはいえ、次第に個性的な消費も好まれ──生産性の上昇を阻む一つの要因でもあった──、多様な財の製造やサービスの提供が促された。こうした時代的な変化をつかむためにこそ消費を分析対象として重視し、サービス産業を中心とした産業史分析を試みる必要があって、さしあたり音楽産業は好例を提供するだろう。もっとも、音楽産業を分析するためには音楽を生み出す労働過程を電子工業の発展を条件としながら考察し、その特徴をつかんでいくことが大切であるが、実証的な検討は道半ばである。
さらに、個性的な消費を扱うことの難しさも重要な課題であると考えられた(以下、②)。ヴェブレンが『有閑階級の理論』で論じたような見栄を競うための金銭的な浪費は、高価であれば価値があるという重要な問題提起をしたものの、その後、実際に起きた消費の様相は、所得の上昇が重要な要件であるとはいえ、必ずしも高価な財やサービスばかりが重視されるものではなかった。ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』はこうした変化をとらえて、現代社会では差異化を求めるための記号の消費が行われているに過ぎず、そこでは清貧であることさえ意義のある消費行為として位置づけられるという重要な問題が提起された。もっとも、差異化を半永久的に繰り返す消費の様相は、財やサービスの発展あるいは高価であるかどうかといった参照基準を放棄したために歴史分析への応用を非常に難しくしていた。この点で満薗勇さんは消費の歴史的な分析方法を積極的に模索したが、産業発展との接合に難点を抱えたと思われる──ご本人の関心は別のところにあるのかもしれないが──。
育まれてきた消費に関する知見を踏まえて、高度成長期以降の新しい時代を対象とするためには、消費のあり方と産業構成のサービス化を解き明かし現在的な課題を見通すことが重要だと考えられる。おっちょこちょいついでに少しずつ取り組みたいと思っている。
[かわむら さとし/城西大学准教授]