現代資本主義分析と企業支配論

柴田努

2019年8月にアメリカの大企業の経営者団体であるビジネスラウンド・テーブルは、Statement on the Purpose of a Corporation(企業の目的に関する声明)を発表し、企業目的をすべてのステークホルダーにコミットするものであると再定義した。詳しくは『企業支配の政治経済学』「はしがき」にも書いたが、この声明をどのように評価すべきであろうか。「株主重視経営」から「ステークホルダー重視経営」への大きな転換として見るべきか。あるいは声明にたいして疑問の声が出されているように結局はアメリカの企業行動は変わらないと見るべきか。

現実の企業行動は様々な利害関係や力関係によって形作られるため、それを読み解くことは容易なことではない。そのため企業行動の解明の一つの分析視角として、企業支配論は研究が進められてきた。なぜ企業はこのような行動をとるのか、ということを企業支配の実態から分析を行うというものである。

しかし、このような「企業を支配しているのは誰か」といった問題意識は近年の研究ではどちらかというと後景に退いたという印象を受ける。なぜなら以前は「企業支配論」として比較的活発に議論をされてきたことが、最近では「企業統治論」、すなわちコーポレート・ガバナンス論が主流となり、研究の問題意識としては共通性がありながらもより個別論点の実証に重点がおかれるようになっているからである。その理由として次の二つのことが考えられる。

一つ目は、「支配」という概念が曖昧である、という点である。「支配」は論者によって異なる概念として使用されることが多いため、「誰が企業を支配しているのか」という議論はなかなかかみ合わないことも多い。さらに「支配」は直接的な意味だけでなく、「同意の調達」や「構造的な制約」なども関係してくるため、より複雑なものとなる。

二つ目は企業支配や企業行動の解明はその分析対象からして学際的な領域である点も関係してくる。経済学に限っても扱う領域は多岐にわたり、さらに法学や経営学の議論も必要となる。そういう意味では近年細分化が進む学問において、なかなか取り扱いにくい領域でもある。私も同書の執筆の過程で同じ学部の法学の研究者の前で研究報告を行い、企業法制の解釈などでおかしな点がないか意見を求めた。

上記の支配概念をめぐる問題については、同書では「支配」を企業支配論争初期のバーリ&ミーンズによる「取締役会のメンバーを選出する実質的権限」という規定を軸に、機関投資家の個別企業の持株比率、株主提案の法的拘束力とその実態、機関投資家の短期主義的運用、株主アクティビズムに消極的な投資家の存在、経営者報酬の規制力、株主は経営者を更迭できるか、という観点を含めて評価を行った。

以上の分析から、通説的に論じられてきた近年の株主支配の強まりとは異なり、機関投資家による企業経営への直接的な影響力は限定的であり、逆に経営者の支配力が強まっているということを明らかにした。

この点を明確にしながらも、ではなぜ企業行動が株主への分配(配当と自社株買い)を重視するようになったのかという問題が依然として解決されていない。この論点にたいしては、近年研究が大きく進んでいる「経済の金融化」をめぐる議論を参照することで、企業利潤の低迷と経済の停滞に対応するために行われた新自由主義政策と企業行動の変容の関係を論じた。

金融化論の一部の論者は、経済の金融化によって株式市場の機関化が進んだことで株主の力が強まり、そのプレッシャーから経営者は株主への分配を増やしたと論じた(株主支配論)。しかし、本分析をふまえると近年の株主配分増加は次のような経路から生じた現象であると把握することができる。すなわち、企業利潤の低迷を脱却するために、企業法制や金融規制にたいする規制緩和が行われ、これによって経済構造が金融的動機を主たるものに転換していく。そして規制緩和の結果生じたM&Aの増加とストック・オプションの拡大によって、株価を軸にした企業の選択と集中が促進される。この経済構造を背景として、経営者は新しい経営戦略として労働者への分配の削減と株主配分(配当・自社株買い)の増加を経営者の主導のもとに行うようになったのである。これが「経済の金融化のもとでの経営者支配」の構造である。本分析をふまえて、今後はさらに経営者支配の構造と現代の資本蓄積体制との関連について研究を進めていきたい。

[しばたつとむ/岐阜大学准教授]