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『グローバル経済史にジェンダー視点を接続する』刊行にあたって

浅田進史

本論集を構想する直接の契機は、2013年8月に『経済史評論(The Economic History Review)』に掲載されたジェイン・ハンフリーズの論考「集計知の誘惑と家父長的視角の陥穽」である。この論考は、日本語にも翻訳されたロバート・アレンによるグローバルな視点からのイギリス産業革命論に対して、女性史・ジェンダー史の視点から痛烈に批判したものである。

2011年に刊行されたアレンの入門書『グローバル経済史』(日本語訳『なぜ豊かな国と貧しい国が生まれたのか』NTT出版、2012年)を読んだ際、本書の経済成長論は長年日本でも蓄積されてきたイギリス産業革命期の貧困、児童労働、女性労働研究の立場とは相容れないだろうという印象を強くもっていた。だからこそ、ハンフリーズによるアレン批判から大きな知的刺激を得たのである。その後、『経済史評論』上で交わされたアレンの反論とハンフリーズの再批判は、新しく生まれつつある「グローバル経済史」という研究潮流に対して、ジェンダーの視点から多くの重要な論点を提示するものであった(アレン=ハンフリーズ論争の意義については本論集第1章山本千映論文を参照)。

2000年代後半になると、日本でも「グローバル・ヒストリー」と題した本や論集が次々と公刊され始めた。主にアジア経済史とイギリス帝国史の二つの領域がこの研究潮流を牽引しており、まもなく日本でも「グローバル経済史」という研究枠組みが生まれるのではないかと感じていた。同時に、そこには1990年代末から2000年代にかけて人文社会科学全般であれほど議論されたジェンダーの視点が組み込まれそうにないことが気にかかっていた。かつて社会史やサバルタン研究のように、ジェンダー視点によって批判されることで研究が深化したことを、「グローバル経済史」は近い将来に同じことを繰り返すのだろうか。こうした問題意識から、本論集と同じ論題を掲げて、2017年度政治経済学・経済史学会春季総合研究会を企画したのである。

なぜ本論集の題名が「接続する」なのか。この表現は企画会議を通じて選択されたものである。ジェンダーという視点の意義は、性差に基づく権力の非対称性があらゆる領域に組み込まれていることを気づかせる点にあると考えている。そうであれば、ジェンダーの視点から「問い直」したり、「読み替え」ることによって、新しい「グローバル経済史」を提示することが要求されているのだろうか。そうではなく、そもそもジェンダー視点がない「グローバル経済史」はありえない、ということではないだろうか。そのように考えるならば、「グローバル経済史」にいかにジェンダー視点が不可分に絡み合っているのかを示すことが必要ではないだろうか。ここでの「接続する」は、部分的な「接続」ではなく、「グローバル経済史」の根幹への接続を意味している。

本論集は3部から構成されている。まず、第1部「産業革命・グローバル史・ジェンダー」はグローバル経済史のなかでもっとも論争的な時期、すなわちプロト工業化期から産業革命期を対象とし、続く第2部「19世紀グローバル化のなかのジェンダー」は19世紀後半から20世紀前半を対象に具体的な事例を通じてグローバル経済史とジェンダー視点を接続するものである。最後に、第3部「グローバル経済の現段階とジェンダーの交差」はグローバル経済史とジェンダー視点からのグローバリゼーション分析を結びつけることを企図している。

各章およびコラムを合わせた一一名の執筆者(浅田進史、山本千映、竹田泉、仲松優子、坂本優一郎、榎一江、網中昭世、谷本雅之、長田華子、福島浩治、姫岡とし子、各章・コラム執筆順)には、卒業論文を控えた学部生や研究を志す大学院生に知的刺激を与えるような論考を寄せてもらった。そのため、各章および第1部・第2部のコラムでは、具体的な事例とともに、ジェンダーの視点から研究史上の論点を整理することに力点が置かれている。本論集が今後生まれるであろう「グローバル経済史」という研究潮流の基本文献として、長く参照されることを願っている。

[あさだ しんじ/駒澤大学教授]