川口弘先生の思い出

緒方俊雄

今年の7月で、川口弘先生が亡くなられて、早いもので11年になる。私が中央大学経済学部に入学し、2年次の経済原論講義の時に初めて先生にお会いした。といっても、その時は一受講生でしかなく、マスプロ教育の時代だったので、教室は満員、通路側の窓を開けて黒板の板書をノートに書き写すのが精一杯だった。当時は、実業家の父の勧めでケインズ『人物評伝』とシュムペーター『経済分析の歴史』(第1〜7巻を愛読し、部活(ラグビー)に熱中していたころである。上級年次には、兼任講師として伊東光晴先生が「名著研究(ケインズ)」の講義を担当しており、学部時代にケインズ研究の真髄を知ることができた。当時、川口先生の『ケインズ経済学研究』(中大出版社、1953年)は絶版で「幻の名著」と言われていたのに、大学の図書館には所蔵されていなかったので、学部ゼミの岩波一寛教授(財政学担当)から借用し、またJ・ロビンソン『ケインズ雇用理論入門』の原書(川口弘訳、巌松堂出版、1958年)を神田の古書店で入手することができた。ちょうどその頃、ロビンソン教授が慶應義塾大学の記念講演会に招聘され、私は満員の教室に潜り込んで聞き耳を立てたが、当時の私の語学力ではままならなかった。ロビンソン教授が黒板に「資本」を意味する「K」の文字を書いたことだけは鮮明に記憶している。
川口先生は、その後『ケインズ一般理論の基礎』(有斐閣、1971年)を出版すると同時に、貨幣的経済学と福祉国家の研究のためにスウェーデンに留学され、私は経済学部の講師になっており、その初版の改訂を依頼された。同時に『基礎』は、経済学部経済原論の教科書でもあったので、講義を担当しながら改訂作業をお手伝いさせていただいた。
話は戻るが、私が大学院に進んだ頃、同窓生の中田常男氏(三重大学名誉教授)が、私に、川口先生の「幻の名著」とその基になったガリ版刷りの「ケインズ一般理論入門(日本銀行行学会講義録)」を寄贈してくれた。私は、この「幻の名著」を大学図書館に稀こう本として所蔵するよう捧呈し、また先生が亡くなられた翌年の1999年に日本経済評論社から復刻版として出版していただいた。
私の大学院時代には、「一般理論の同時発見者」と評価されるM・カレツキと彼の同僚のJ・シュタインドルの『アメリカ資本主義の成熟と停滞』やイタリアの経済学者P・シロス─ラビーニの『寡占と技術進歩』をテキストに寡占経済の諸問題を研究した。私は「マーシャルのジレンマ」、つまり、完全競争と収穫逓増法則が理論的に両立できないという問題に注目し、P・スラッファやロビンソンの「不完全競争理論」に代わる「寡占形成の理論」を研究中だったので、大学からの帰路の横須賀線電車の中でも、たびたび川口先生と議論する機会を持った。
そのようなある日、川口先生から日本経済評論社初代社長の引地正氏と新しい企画の相談があるから、最近のケインズ経済学の研究動向をまとめておくようにと依頼された。都内のさるレストランに招かれ、そこで「ポスト・ケインジアン叢書」の出版企画と「ポスト・ケインズ派経済学研究会」の組織化を提案した。ポスト・ケインジアン叢書では、当時、米国州立ラトガース大学のP・デヴィッドソンに師事したJ・A・クリーゲルが英国ケムブリッジ大学のロビンソン教授のもとで博士論文を執筆し、その成果として出版された著書が『政治経済学の再構築』だったので、叢書の第一巻にはこの著書を選んだ。その頃は、川口先生は中央大学において教学執行部の要職にあったにもかかわらず、私たちの初めての慣れない翻訳原稿に丁寧に朱筆を入れていただき、1978年に出版することができた。同書には、ロビンソン教授の序文も掲載され、難解なロビンソン『資本蓄積論』のよき入門書にもなっていた。その後、私の英国ケムブリッジ大学での短期留学の際に、直接ロビンソン教授と面談し、教授の「経済理論の第二の危機」や「経済学の何が問題か?」という論文の中で、特に所得分配や資源配分、公害・環境問題について意見交換をする機会を持つことができ、そこからいまは、地球環境問題と持続可能な開発のフィールド・スタディーに基づいて生態経済学の構築を試みている。
私は、1980年から2年間、米国ラトガース大学に留学する在外研究期間が与えられ、デヴィッドソン教授やクリーゲル教授の推薦で『Journal of Post Keynesian Economics』の編集委員に選出され、また現地で1980年と81年に開催された国際会議の準備委員を経験し、多数のポスト・ケインズ派経済学者と直接面談する機会に恵まれた。またA・S・アイクナー教授の主著『巨大企業と寡占──マクロ動学のミクロ的基礎』と編著『ポスト・ケインズ派経済学入門』の翻訳にかかわることができた。帰国後、川口先生と『経済セミナー』(日本評論社、1985年6月号)で「ケインズ『一般理論』の現在」という対談の機会を持ち、ケインズ=ポスト・ケインジアンの研究動向について総括することができた。
私は、大学紛争の中で毅然とした態度で研究・教育・行政に専心している川口先生の言動に注目し、その都度発行された原稿を収集してきたので、日本経済評論社に相談した。そうしてまとめられたのが、川口弘著『大学の社会的使命』(1987年)である。本書の序文には、川口先生の力強い決意が表明されている。
「現実的であるということは、現実に安易に妥協することではない。現実と理想のギャップを冷静に認識したうえで、現実の諸条件のなかで半歩でも理想に近づく途を探り、着実に前進しようと努める姿勢をもつことである。
理想を掲げるということは、現実を逃避して夢想に酔うことではない。過去から未来にわたる人類と社会の幸福と発展の道筋の中に、自己の存在をしっかりと位置づけ、そのような自己の存在意義の実現を目標として掲げることである。
大学は、利潤の最大化を自己目的とする企業=学校屋ではない。人類と社会の幸福と発展に役立つかぎりでの、教育と研究とを統一的に推進するための、優れて公共的な社会的機関であり、そのような社会的使命を最大限に達成することが大学の掲げるべき理想である。理想なき大学はもはや大学ではない」。
この序文は、アジアの持続可能な開発モデルを模索する大学関係者たちと一緒に「エコビレッジの形成」を目指すとき、いまの私の座右の銘になっている。                         [おがた としお/中央大学経済学部教授]