I read the news today, oh boy…

中川 辰洋

ビートルズ後期の名曲“A Day in the Life”の冒頭の一節だが、“news”のくだりは「ギネスの遺産を相続したタラ・ブラウンの死亡記事(1966年12月)に着想を得たがまったくの虚構」と作詞したジョン・レノンは述懐している。だから、アメリカはケンタッキー州ルイビルでこの3月、警察による1人の黒人女性の殺害を報じた記事を目にした時、あまりの理不尽さのゆえに「虚構」であってほしいと願った。

米メディア筋によると、3月13日未明、救急救命士の黒人女性ブリアナ・テイラーさん(当時26歳)が、アパートに突入した武装警察官3人によって射殺された。薬物事件の捜査の一環としてアパートにノックもせずにドアをぶち破って闖入した警察官を、彼女の交際相手で容疑者と思しき黒人男性が侵入者と勘違いして発砲。これに対して、警察官は20発以上撃ち返し、うち8発が就寝中のテイラーさんに命中した(男性は一命をとりとめた)。

事件後の家宅捜索では、テイラーさんのアパートから薬物は発見されなかった。それもそのはず、警察は誤認捜査に気づかず、誤った住所に踏み込み、彼女を殺害したのだ。

テイラーさんの死に、遺族はもとより友人や知人はルイビル市に抗議、これを受けて、市は殺害に関わった警官三人中一人を免職とするも全員の訴追を見送った。捜査はおそまつの極みで、肝心の容疑者はすでに収監の身であった。メディアも同罪だ。かれらは事件を全米に向かって報道しなかったのだから。時あたかも“Black Lives Matter”運動の発端となったジョージ・フロイドさん殺害の約2カ月前のことだった。

幸い、ビヨンセ、アリシア・キーズ、テイラー・スウィフトら人気アーチストの抗議活動の功もあって、いまではブリアナ・テイラーさんとジョージ・フロイドさんの遺影を掲げた反差別運動へと進化をとげたが、一方のテイラー殺しは、人種差別と女性蔑視という二重の犯罪行為と考えなければならない。そうであれば、テイラー殺しについて言えば、“Black Lives Matter” でははなく、“Black Female Lives Matter Much” こそがふさわしい。

黒人女性への差別と闘う#SayHer-Name 運動の調査によると、米警察による黒人女性への残虐行為と精神的かつ肉体的暴行が後を絶たず、黒人女性や少女たちはつねに「命の危険」に晒されている。あるセンサスによると、強姦や殺害の犠牲者は、黒人女性が白人やヒスパニックを抑えて最も多い。

実際2014年このかた、黒人男性がらみで警察によって殺害された女性は、テイラーさんだけではない。ミーガン・ハッカデイ、ジャニーシャ・フォンヴィル、オーラ・ローサー、イヴェット・スミスらがそうである。これに、2015年に首都ワシントンDCで起きた警察による11歳の黒人少女のレイプ被害届を握りつぶし、偽証を騙って逮捕するというおよそ考え難い事件を加えたい。少女の主張が認められたのは逮捕から七年後であった。

これらの事件は、警察のお座なりな捜査と秘密主義によってうやむやにされ、やがて “コールドケース(迷宮事件簿)” の仲間入りすることだろう。フィラデルフィア市警殺人課の捜査官リリー・ラッシュありせば……と思うのは筆者だけではあるまい。

だが憂うべきは、警察による人種差別や性差別は決してアメリカに特有でないことだ。英国でも2019年6月、ソマリア難民の少女シュクリ・アブディさん(当時12歳)の死を「殺人」ではなく「事故」として片付けようとした警察への非難、公正な裁判を要求する約60万人の署名活動の結果、警察は重い腰を上げざるを得なくなった。

イングランド北西のマンチェスターのある川に友人2人と出かけたソマリアの少女は水が嫌で泳げなかった。それでも、連れの一人に「川に入らなきゃ殺す」と脅されて恐る恐る水に入って溺れ、気づいた友人が慌てて助けを呼ぶも時遅く、少女は命を落とした。「殺す気はなかった」と連れは言うが、日常的にいじめられていた少女にしてみれば、「冗談」ではすまなかったろう。本当に殺されたのだ。

黒人女性や黒人コミュニティに対する警察という公権力による組織的暴力を隠蔽することがますます困難になりつつある。フロイドさんの死に端を発する“Black Lives Matter”はその表れだが、それだけではない。人種と性による二重の差別に苛まれた黒人女性の命も男性のそれと等しく大切だということに思いを致さねばならない。

[なかがわ たつひろ/青山学院大学教授]