神保町の窓から(抄)

▼6月の末、税務署に決算書を出してきた。好みの仕事ではないが、これは資本主義社会の掟であり、とぼけるわけにはいかない。在庫の量が異常に増えている。それを見てわが社の税務顧問が目を剥いた。まっとうな会社では、年商に対してその50%くらいが正常な在庫だという。うちには、なんと150%もある。倉庫で動きがとれないわけだ。本は倉庫にいくらあっても、読者に渡らなければただの紙の山だ。ここ何年か「本が売れない」とコボしてきたが、去年の秋からはそれが顕著だ。出版は不況に強いと言われたこともあったが、それは嘘だ。出版も世界の景気変動に寄り添って生きてきた。特別な業界ではない。出版は文化産業だと悦に入ってる人もいるが、食えなきゃ文化もクソもあるものか。
 それでも、神田や新宿の書店は客で混み合っている。小一時間も店にいてレジをちらちらみていると、どんなものが売れているか、少しは分かる。新書、これが多い。700円から800円前後のものだ。「読破」の快感を味わうのに丁度よい分量なのだろう。小社の関係する著者でも新書やブックレットに手を染めた人も何人かいる。この「手ごろ」な本に較べると専門書などもう異界の本にみえる。右顧左眄を戒め、ここがふんばりどころだ。そのせいだとは云わないが、決算はとても人様に見せられるものではなかった。初版部数の手加減や、用紙や印刷経費の見直しなど、できるだけのことはしてきたつもりだが、まだ甘い。一層の努力をしますので、読者のみなさま、著者のかたがた、どうか見放さないでください。
▼世のため、人のため、などと大上段に振りかぶって出版という業に居続けているわけではありません。われわれが食うためなのですが、この貧のなかで気がつき、背筋にたたきこんだことはあります。われわれの拵える本が少部数なのは、少数の意見や研究を出版し、それを少数の読者に頒布しているからなのだ。その「役目」をわれわれが負っているのだと。妙な役目だが、貧なのは当たり前じゃないか。
 増刷に増刷を重ねるような本(研究)に遭遇することは稀(皆無)だし、だいたい、そういう欲望をもつ出版風土がない。「増刷するような本をつくったのはだれだっ」なんて言辞がヘーキで飛び交っている。そうは云いながらも、涙をのんで300部の増刷を決意して、初版の完売益を吹っとばしていることもある。だが、この少部数、少読者を専門とする出版社なんかいやならやめればいいじゃないか、とは云ってほしくない。出版界における田作にはそれなりの意味のあることをご理解していただき、われわれもそれを腹に据えておきたいと思う。何度も経験していることがあります。どことどこに行って頼んだが、みんな断られた。ここが最後と思ってやってきた。われわれは、大出版の落ち穂を拾って生きているわけではない。自らの役回りを知った、積極的な佇まいもあることをお伝えしたいと思うのです。
▼6月16日、横浜国立大学で財政学を講じていた金澤史男さんが、講義直後に大学で倒れ、そのまま逝ってしまった。ご冥福を祈ります。金澤さんは、「五加村研究会」の主要なメンバーであった。1979年に組織されたこの研究会は、1990年に分担執筆を終え、本づくりにとりかかった。それがご縁で金澤さんの面識をえた。微笑を絶やさない好青年にみえた。本は大石嘉一郎・西田美昭両先生の編『近代日本の行政村』(A5判、774頁)として上梓され、この本はそれ以後の、小社の出版傾向を大きく変えました。金澤さんは活動家でもありました。あちこちの会議や集会で講師などをつとめ、都合がよければ聞きにいったりもしました。大学では、共同研究に熱心でそんな仲間との研鑽のなかから何人もの研究者・実務家を送り出しています。2008年の正月に仕上げた『公私分担と公共政策』(A5判、475頁)は15人もの若い研究者を率いて完成させ、現場に役立つ本として高い評価をえました。55歳という若さで逝った金澤さんの魂の安らかをいのります。
▼青山学院大学の先生から「学生に社会(世間)の話をしてくれ」とたのまれた。「なんで、おれが?」とも思ったが、ふだん呑み屋で駄法螺を吹いているので、引っ込みがつかず承諾した。教室にいってみると、300人もの学生が集まっていて、一瞬、承諾を後悔した。話は出版社ではどんなことをしていて、何がおこっているかという一般的な事柄をはなしたのだが、なにを話しているのか、聞いているのか、分かっているのかどれも心配になり、結局、出版に限らず、生きていく過程で何が大事か、それは人と目の前で起った事態にたいして、誠実に対面し処理すること、それだけだ。出版など誠実でありさえすればつとまる。と結論した。帰り道、淵野辺からの夜汽車の中で、何か言い足りなかったことがあることに気づいた。そうだ、一定の知識と技術も必要だし、そのために今こそしっかり勉強しておいて下さい、とつけ加えるのを忘れてしまったのだ。ごめんなさい。 (吟)