政党と政治の理論についての叙文

岩崎正洋

 政治の理論と現実において、政党は長きにわたり、主要な存在であり続けてきた。選挙に際し、政党は政治権力を獲得しようとする。政党が権力を追求するのは、政権に就いて統治を行うためであり、統治は、具体的な政策によってなされる。
 ある政党は、国民の税負担を大きくする代わりに福祉を充実させることがこれからの社会にとって重要だと考えるのに対し、他の政党は、国民の税負担を軽くして、国からの福祉サービスの提供を最低限度に抑えるべきだと考える。あらゆる政党が自らの考える将来像を掲げて、選挙戦で勝敗を競う。選挙で勝てば、政権を獲得し、思い描く将来像を実現するために政策を実施する。政党は、未来の政治の選択肢として位置づけられる。
有権者は自分の利益や価値観にもとづいて、これから先の社会を託すに足ると思われる選択肢を選ぶ。そこに正解はない。あるのは、多くの有権者によって支持される政党(勝者)と、そうではない政党(敗者)という違いだけである。政党同士の「闘争」は、いかに統治するかをめぐる対立であり、政党は国の「統合」を目指して「闘争」している。その意味で、政党は、政治の本質的な特徴を体現した存在といえる。
 政治は、対立のあるところにみられる。われわれ一人ひとりの名前や顔が違うように、人は誰もが同じ境遇にあるわけではないし、同じような人生を歩むとは限らない。一方で、生まれながら富に恵まれ、何不自由なく過ごす人もいるだろうし、他方において、貧しい境遇に置かれたまま一生を送る場合もある。政府が格差是正の取り組みを行ったとしても、格差が解消する気配は一向にみられない。
 そう考えると、人は生まれながらにして、「不平等」な生き物だといえるのかもしれない。現実は、あらゆる人が「平等」に一生を過ごすことはできないのであり、いかにして不平等を少しでも軽減するか、恵まれない境遇や困った立場に置かれた人びとに対して、いかに手を差し伸べることができるか、さらに、誰もが納得できるかたちでいかにそれを実現するかについて、政治は常に試行錯誤を繰り返してきた。
不平等がどこでみられるかによっても、問題の所在は異なる。つまり、何が平等ではないかにより、問題とされる内容は違ってくるし、不平等の是正なり解決方法も異なってくる。たとえば、貧富の差というように、経済的な不平等が問題となる場合、一つの国内では、累進課税などの税制により対応が試みられるし、国家間の経済格差であれば、開発援助などの政策がとられる。
 男女の性別にもとづく不平等が問題となる場合には、それとは異なる解決策が必要になる。男女雇用機会均等法を導入すれば事足りるわけではないし、男性の育児休暇取得率が高まれば済むわけでもない。さらに、経済的な不平等と男女の性差による不平等とが重なった場合に問題は複雑になる。単に経済的不平等であれば、富者と貧者との間に一つの対立軸を見出すことができるし、男女間の不平等であれば、男女の間に一つの対立軸を見出せる。しかし、経済と性差とが組み合わさると、対立軸は少なくとも二つ存在し、解決策は容易には導き出せない。
ただでさえ、経済的不平等すら解決するのが困難であるのに、経済的不平等と男女の不平等との両方が混在した問題が直ちに解決されるとは思えない。そこに世代(たとえば、若年者と高齢者)という変数を追加すると、なお解決策はみつけにくくなる。若年者と高齢者の利益は大きく異なっており、それぞれの世代が求めるものは時には対立することさえある。したがって、あらゆる人々にとって「価値」あるもの、いいかえると、一人ひとりにとっての利益は異なっており、いかに利益を実現するか、いかに不平等を解消して平等を実現するかが政治の課題となる。
 それだからこそ、政治は対立があるところにおいてみられるのであり、政党は相対立する立場をそれぞれ代表し、統合のために闘争を行うのである。先日刊行された拙著『政党システム』は、このような政治の理論と現実を、政党システムを通して正面から考えるための手掛かりを提供しようとしている。これに続いて、二〇二一年からは、新進気鋭の研究者たちによる政治学の教科書を企画している。政治の特徴を正面から捉え、一人ひとりの執筆者のオリジナリティを反映した教科書をシリーズとして出したいと思っている。
[いわさき まさひろ/日本大学教授]