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  • PR誌『評論』174号:1964年の東京オリンピックを考える! ──『東京オリンピックの社会経済史』

1964年の東京オリンピックを考える! ──『東京オリンピックの社会経済史』

老川慶喜

1964年の東京オリンピックを考える!
 ──『東京オリンピックの社会経済史』
老川 慶喜

2006年8月30日、新高輪プリンスホテルの国際館パミール(北辰)において、「第31回オリンピック競技大会(2016年)国内立候補都市選定委員会」が開催された。東京都と福岡市がオリンピック招致に名乗りを上げていたが、東京33票、福岡22票で、東京が国内立候補都市となった。その後、2008年6月4日の国際オリンピック委員会(IOC)理事会のオリンピック開催候補都市第一次選考を、東京は第1位で通過した。第2位はマドリード(スペイン)、第3位はシカゴ(アメリカ)であった。そして、4番目の開催候補都市として、評価リポートの得点では第5位であったリオデジャネイロ(ブラジル)が残った。第31回オリンピックの開催地は、2009年10月2日にデンマークのコペンハーゲンで開かれる第121次IOC総会で決定されることになるが、東京が開催地に決まれば、1964年の第18回オリンピック以来、二度目の開催ということになる。
1964四年10月10日から24日にかけて東京で開催されたオリンピックは、日本ではもちろん、アジアで、また非欧米世界ではじめてのオリンピックであったばかりでなく、戦後日本の大きな歴史的転換点であった。戦後の日本経済は著しい発展をとげ、1955年から73年までの高度経済成長期には、名目で15%、実質でも10%の経済成長率を維持し、経済規模は5・8倍にも拡大した。この時期の他の先進諸国の名目成長率が6〜9%であったことを考えると、日本の経済成長がいかに急激であったかがわかる。東京オリンピックは、(1970年に大阪で開催された日本万国博覧会とともに)日本の戦後復興と経済発展による近代化を、世界に示す壮大な国家的イベントであったということができる。
アジアでは、その後1988年に韓国のソウル特別市で、また2008年には中国の首都北京でオリンピックが開催された。北京オリンピックはまだ記憶に新しいところであるが、ソウルオリンピックや北京オリンピックも、東京オリンピックと同様に、韓国や中国の著しい経済成長の成果を世界に示す国家的イベントとして開催された。そして、いま、東京都知事石原慎太郎らが、再度東京でオリンピックの開催をと意気込み、第31回オリンピックの東京招致運動を展開している。
『東京オリンピックの社会経済史』と題する本書は、1964年の東京オリンピックを、歴史の文脈から改めて考えてみようというひとつの試みである。というのは、まず第一に1964年の東京オリンピックが、日本の戦後史においていかなる意味をもっていたかを考えてみたいと思ったからである。そして、第二に2016年の東京オリンピックが実現するかどうかはまだわからないが、開催されるとすればどのようなオリンピックになるのか、あるいはどのようなオリンピックにしなければいけないのか、いくばくかの示唆を得ることができるのではないかと思われるからである。
本書は、第一部「東京オリンピック」と第二部「東京オリンピックの時代」から構成され、第一部(①関口英里「東京オリンピックと日本万国博覧会」/②上山和雄「東京オリンピックと渋谷、東京」/③篠崎尚夫「『消費は美徳』の経済思想」/④道重一郎「ロンドン・オリンピック」)では、一九六四年の東京オリンピックが当時の日本にとってどのようなものであったかを考察した。そして、第二部(⑤小野浩「2DKの理想と現実」/⑥大島宏「ベビーブーム世代の進学問題」/⑦老川慶喜「東海道新幹線の誕生」/⑧大矢悠三子「湘南海岸の変容」/⑨永江雅和「『防衛博』から『フラワーショー』へ」/⑩「貿易・資本の自由化と花王の流通システム合理化戦略」)では、東京オリンピック開催前後の日本社会の諸相を、住宅、教育、交通、レジャー、遊園地、流通などの諸問題にわたって検討している。なお、東京オリンピックを論ずるにあたって、取り上げなければならない多くの問題が残されていると思われるが、さまざまな理由から実現できなかった。それでも、1964四年の東京オリンピックがどのようなもので、それを契機に日本社会がどのように変容したのかという問題については多少なりとも理解していただけるのではないかと考えている。
[おいかわ よしのぶ/立教大学経済学部教授]