変貌する日本の食と農

八木 宏典

 米の代わりにキャベツ(キャベツライス)を使った炒飯、米を豆腐におきかえた牛丼、大根をシャリ代わりに使った寿司、カリフラワーでライスの量を激減させたカレーライス、これらはすべて最近売り出されている新食品である。これらに共通するのは、いずれも米の消費を抑えた「低糖質」食品であるという点にある。筆者の住む市役所の広報でも、健康づくりのために「毎食ご飯を一口ずつ減らしましょう」と呼びかけている。
 厚生労働省「二〇一六年国民健康・栄養調査」によれば、わが国の糖尿病人口が一〇〇〇万人の大台に達したという。糖尿病人口は一九九七年調査の六九〇万人から右肩上がりで増え、この二〇年間で三一〇万人(四五%)増えた。これに糖尿病予備群も含めると二〇〇〇万人を超え、両者を合わせると総人口の二四%にあたるという。
 こうした日本人の実情が、健康づくりやダイエットへの関心の高まりとなり、糖質さえ抑えれば肉類や油類はいくら食べてもよいという「低糖質(ロカボ)」につながっている。しかも、パンやめん類、果実、菓子類などの糖質の多い食品の中で、なぜか米だけが摂取を抑えるべき食品になっている。健康を保持・増進しダイエットに努めるためには、まず適度な運動が不可欠であり、現在はむしろ脂質の過剰摂取を抑えることが行政の課題となっている。また、糖質を抑えるとしても、米だけでなくパンやめん類などの麦類や果物のほか、とくに菓子類などをひかえる必要がある。しかし、近年の動きをみると、パンなどは消費が増える傾向にあり、ラーメンやスイーツなども新商品が次々と発売されているのが現状である。
 わが国の米の消費量は、平成の初め頃は一〇〇〇万トンを超えていたが、平成末には七四〇万トンにまで減少した。国民一人当たり年間消費量に換算すると、平成の初め頃には七〇キログラムの米が食べられていたが、平成三〇年(二〇一八)には五三キログラムにまで減少した。米の消費量が減少しているために、生産量を減らす減反政策が長いあいだ実施されてきた(平成三〇年をもってこの政策は廃止された)。
 しかし、国による生産調整が強力に推進されてきたにもかかわらず、米の価格の方はこの間に一貫して低下傾向で推移し、平成五年(一九九三)頃に二万三千円(六〇キログラム、玄米)であった米価が、平成二六年(二〇一四)には 一万二千円の水準にまで低下した。
 こうした米の消費量の減少と米価の下落というダブルパンチを受けて、わが国の米の産出額は大きく低下した。プラザ合意の行われた昭和六〇年(一九八五)には三兆八千億円の金額を誇っていた米の産出額が、平成二七年(二〇一五)にはわずか一兆五千億円にまで減少し、わずか三〇年間で四割以下の水準にまで縮小してしまったのである。しかも、米の消費量はこれからも毎年八万トンずつ減少すると予測されている。
 その結果、米は長らくわが国農業のトップの座を占めていた基幹作目から、畜産、野菜に次ぐ第三位の作目へと滑り落ちてしまった。産出額の減少は国内の麦類や豆類においてもみられ、米のほかに麦・大豆などを作付けする水田農業の存立基盤を大きく揺るがしている。米や豆類、魚介類などの産出額が減少する一方で、牛肉などの肉類や鶏卵、牛乳・乳製品などの産出額が近年は増加する傾向にあり、野菜も葉菜類や果菜類などを中心に、また、果実もりんごなどを中心に産出額が増加に転じている。いまや肉類や乳製品、野菜類などが日本人の食の中心となり、米はサイドディッシュ(副食)になりつつあるというのが、わが国の食をめぐる現状である。
 以上のようなプラザ合意以降の米作をめぐる厳しい状況のもとで、一九九〇年代後半に入ると離農したり、集落営農組織に組織化される農家の数が増え、米作農家の数が激減した。直近の農林業センサスによれば、水田を有する経営体は、平成一七年(二〇〇五)の一七四万四千経営体から二七年(二〇一五)の一一四万五千経営体へ、このわずか一〇年間で、数にして五九万九千経営体、割合にして三四%が減少している。
 一方で、五ヘクタール以上層は五万一千経営体から六万五千経営体に二八%ほど増加している。五ヘクタール以上の階層の増加経営体の数は多くはないものの、これらの階層が耕作する水田面積は五四万ヘクタールから九〇万五千ヘクタールへ三六万五千ヘクタール増加し、その水田面積割合は二六%から四六%へ二〇ポイント上昇している。今世紀に入り米作農家の数が激減するとともに、一部ではあるが一〇〇ヘクタールを超えるような大規模経営が出現するなど、水田農業の変貌が大きく進んでいるのである(注)。
 しかし、一〇ヘクタール以上の階層へ農地集積が進んでいる地域は、北海道、東北、北陸、東海、北九州などであり、その一方で、南関東、近畿、四国などの地域では面積割合が一割に満たない府県もある。これらの多くは、都市的地域や果樹、特産物、野菜などの産地でもあるが、中山間地域を多く抱えている地域でもあり、水田立地条件が厳しいために農地流動化が進まず、高齢化の進展や担い手の不足という大きな壁に直面している。こうした条件不利地域の農業と集落をどう支援していくのか、大きな課題となっている。
 米には炭水化物のほかに、必須アミノ酸をバランスよく含む良質なたんぱく質、健康を維持するために欠かせないカルシウムや鉄などのミネラル、そして多様なビタミンが含まれ、ご飯だけでも体に必要な栄養素を幅広く摂取することができる。しかも米の炭水化物は、消化・吸収がゆるやかで血糖値の上昇が穏やかであるという特徴がある。オリンピック金メダリストの荒川静香さんが毎回必ず納豆をかけたご飯を食べて試合に臨んでいたのも、MLBで活躍したイチロー元選手が試合におむすびを持参して、現役中に二八〇〇個のおむすびを食べたというのも、世界で活躍する日本のアスリートやスポーツ選手たちが、こうした米の特徴を熟知しているからである。また、生活習慣病やダイエットのために、むしろ「おかゆ断食」の有効性と安全性を指摘する食医療の専門家もいる。日本の多くの国民がこのような米の優れた特徴を理解して、和食の中心的位置を占める米の消費について再考していただくことを期待している。
 (注)八木宏典・李哉泫編著『変貌する水田農業の課題』日本経済評論社、六月中旬刊行
 [やぎ ひろのり/日本農業研究所客員研究員・東京大学名誉教授]