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「ニューディール」再考その⑥ 福祉国家と戦争国家

西川 純子

全国資源計画局  一九三九年に成立した行政組織改革法(Reorganization Act)は、ホワイトハウスに大統領直属の行政機関を設けることを認めていた。ローズヴェルトは早速、全国資源委員会(NRC)を廃止して全国資源計画局(NRPB)を新設し、これを大統領府に移管している。
ローズヴェルトが「計画」の二文字を加えて、新しい組織の名称を全国資源計画委員会としたのは、ニューディールの計画を戦時の計画に切り替える必要があったからである。しかし、これを成功させるにはニューディーラーの協力を得なければならない。そのためにローズヴェルトは「計画」に戦争から平和への転換という目的を加えていた。そこには戦争が終わればまたニューディールの時代が来るというメッセージが込められていた。
ローズヴェルトの要請に応えNRPBは一九四二年までに二つの報告書を提出している。その第一は「戦後計画とプログラム」と題する総論、第二は「安全保障、労働および救済政策」と題する各論である。第一報告は冒頭で戦後アメリカが満たすべき要件として九項目の「新人権宣言」を掲げていた。
①働く権利、②適正な報酬を得る権利、③十分な食糧と衣服と住居と医療を手にする権利、④老齢、貧困、扶養、病気、失業、事故の不安に怯えずにすむ権利、⑤強制労働や無責任な私的権力や恣意的な公権力や無制限な独占のない自由企業の社会に住む権利、⑥移動と言論の自由を持つ権利、⑦法の前に平等である権利、⑧教育を受ける権利、⑨休暇をとり、遊び、冒険し、高度化する文明を享受する権利
アメリカ版「ベヴァリッジ報告書」と言うべきか、NRPB報告書は「新人権宣言」を打ち出すことによって戦後アメリカを福祉国家として明確に規定したのである。
ニューディーラーなら誰でも「新人権宣言」に賛意を表したであろう。しかし、どのようにして福祉国家を実現するか、そのための具体的な方法となると話は別であった。
完全雇用  ニューディーラーが財政出動に積極的であったことはカリーの言動からも明らかだが、NRPBの提案は財政出動の目的を完全雇用に定める点で、カリーはもとよりケインズとも異なっていた。完全雇用が実現されれば全てが解決するというのである。
NRPBの提案に理論的根拠を与えたのはA・ハンセンである。彼は同じ時期にNRPBから小論文「戦争後──完全雇用」を発刊していた。ハンセンは戦争がいとも簡単に完全雇用を実現したことから、戦後において完全雇用を維持するためには政府の財政出動が何より重要と考えたのである。 
ハンセンに反目してミーンズがNRPBを辞めるのは一九四〇年である。翌年、真珠湾攻撃の前に彼はワシントンを去っている。ヘンダーソンは一九四一年から物価統制局の長となり物価と物資の統制を仕切ったが、コーヒーを一人一日一杯に制限して国民の恨みを買い、中間選挙の敗北の責任を問われて辞職した。二人の退出がニューディーラーに与えた影響は大きい。
一九四六年雇用法  議会で急増した反ニューディール勢力が組織としてのNRPBを葬ったのは一九四三年のことである。これによってNRPBの戦後計画も無に帰すかと思われたが、四選を目指す大統領はこの予想を見事にくつがえした。彼は四四年初頭の一般教書演説において、戦争が終われば再び「ニューディールの先生」に戻って福祉国家の実現に邁進すると述べてニューディーラーを鼓舞したのである。
しかし、翌年、四選を果たした大統領が疲れ果てて死を迎えると、戦後構想はニューディールとはかけ離れたところに着地点を求めることになった。一九四六年雇用法がそれである。
一九四六年雇用法は四五年に議会に上程された完全雇用法案を一年がかりで修正して成立している。原案との違いは「完全」の二文字がないことと、福祉国家の要素が完全に削られていることである。ハンセンは雇用法を政府計画のマグナ・カルタとして称賛しているが、「完全」ではない雇用と財政出動を結びつけた段階ですでに彼の論理は破綻していた。完全雇用を目指すからこそ財政投資は福祉国家を実現できるはずだったからである。福祉と関わりのない雇用のための財政投資は何を生むだろうか。戦後のアメリカを振り返れば、そこには福祉より戦争を優先させる国家像が見えてくる。その意味で、一九四六年雇用法は、ニューディールの終焉を告げ、戦争国家の選択に移る分岐点だったと言うことができるであろう。(了、本テーマで原稿執筆予定です)
[にしかわ じゅんこ/獨協大学名誉教授]