『渋沢栄一の経世済民思想』その後

坂本慎一

 博士論文を単行本として刊行させていただいてから、6年半になる。先日、ある学会において、まったく初対面の方から声をかけられ、身にあまる過分な評価をいただいたことがあった。その方がおっしゃるには、日本独自の経済思想とは何か考えてみたものの、どのような分析方法をとればいいのか皆目見当がつかなかったが、儒学から分析する愚論の手法を見て、感銘を受けたとのことであった。これも論文を学術書という形にさせていただいたからであり、今さらながら日本経済評論社に感謝する次第である。
 しかし今から考えると、博士論文執筆当時、まったく気づかなかったことが二つあった。一つは、仏教型と神道型の経済思想の存在である。渋沢の思想の根本は儒学なので、これを儒教型経済思想としてとらえていたが、当時の私は、日本の伝統的な思想を基礎にした経済思想は、この儒教型だけだと考えていた。日本の三大思想は神道、仏教、儒学だが、仏教は現世否定であり、神道は思想として論理性があいまいであるため、経済思想へ発展することはないと考えていたのである。
 その後、縁あって松下幸之助の研究をすることとなり、彼の思想がどこから来たのかと考えた。渋沢研究を通じてそれなりに儒学や神道を学んできたつもりだったので、松下の思想がこの二つの型でないことはすぐにわかった。また、欧米由来の思想でもないので、仏教型なのかと半信半疑で調査すると、徐々に日本における仏教型経済思想の系譜が見えてきた。原型は東洋大学の創設者であった井上円了の『仏教活論』であり、彼の弟子で新仏教運動を起し、実業家でもあった高嶋米峰や、高嶋の影響を受けて真理運動を起した友松圓諦、高神覚昇等によって仏教型経済思想は発展してきたのであった。この系譜を見落としていたのは、これらの思想が書籍によってではなく、ラジオによって流布されていたからである。人気番組「朝の修養」を含め、昭和初期におけるラジオの影響力は絶大であり、電波による啓蒙は、主にメディア史研究において、最近盛んに論じられるようになってきている。
 また、神道型の候補としては、松下と同じ和歌山県出身で、松下と交流の深かった下村宏(海南)という人物がいる。朝日新聞副社長を務め、終戦の玉音放送の現場を指揮した人であり、父の下村房次郎は、日本海航路の開拓に尽したことで知られている。房次郎は、本居宣長の孫弟子であった伊達千広に師事しており、伊達は紀州藩でいわゆる「藩国家官庁エコノミスト」として活躍した。現在、大阪朝日新聞社にご協力いただいて下村宏の経営を調べているが、下村の考え方の端々には、宣長に由来すると思われる思想が垣間見える。彼は父の影響が強いので、伊達や下村家二代の経済観は、将来的に神道型経済思想としてとらえることが可能だと考えている。
 もう一つ気づかなかったことは、渋沢や松下など日本の経営者の思想に対して、実務家の関心が非常に高いことである。これは民間シンクタンクの研究員として勤務し始めて強く実感するようになったことだが、技術や資金などの不足に悩む地方の中小・零細企業の経営者は、しばしば日本の偉大な先人の知恵に拠り所を求めている。日本独自の経済思想について、世間の需要は思いのほか高いと言ってよい。
また、海外における関心について言えば、中国では東アジアの伝統の上に自らの経済が成り立っていることが、ここ数年強く意識されるようになってきている。なかでも渋沢は儒教を強調したこともあって、彼を手がかりにして中国版の儒教型経済思想を模索しようという動きもある。トルコやイランでも、日本独自の経済思想について関心は高く、欧米以外の経済思想も学び、資本主義を多角的にとらえたいという狙いがあるようである。
 博士論文を執筆していたときは、これらの事実について、まったく想像もしていなかった。日本の伝統文化を基礎にした経済思想に関する研究は、今後、さまざまな方面で重要さを増して行くであろうし、まだまだ研究の余地も多く、将来有望な分野であると強く確信している。
                                                             [さかもと しんいち/PHP総合研究所主任研究員]