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  • PR誌『評論』204号:「引揚げ」を国際関係と地域から問うこと

「引揚げ」を国際関係と地域から問うこと

今泉 裕美子

25年ほど前にアイヌの知人が話してくれた。「私の親はカラフト生まれで、第二次世界大戦後に北海道に『渡って』きて、私は北海道で生まれた。日本がカラフトを占領してからやってきた日本人は、北海道に『引揚げ』たと言うけれど、私たちは強制的に移住させられたのです。その後も、食べてゆくために北海道を転々としなくてはならなかった」。(彼女の歩みは、北原きよ子『わが心のカツラの木──滅びゆくアイヌといわれて』岩波書店、2013年として刊行)。第二次世界大戦後の「引揚げ」が「強制的な移住」であり、更なる移住が強いられたこと。彼女のようなアイヌの戦後は、カラフトから引揚げた日本人、北海道に戦前から暮らしていたアイヌとも異なり、何よりも日本の植民地支配の結果である、と深く認識したのはこの話がきっかけであった。 『日本帝国崩壊期「引揚げ」の比較研究』は、「移民史の比較研究」を掲げた共同研究の成果である(経緯や経過は同書「あとがき」を参照)。 執筆者は「移民」を研究してきたものの専門を異にし、対象とする地域や主体も多様であった。しかし専門を統一したり、対象を網羅的に設定しなかったのは、日本をめぐる「引揚げ」の個別具体的な事例を、それぞれの専門や視点を突き合わせ、次に述べる関心から深く掘り下げることを重視したからである。第一は、戦前・戦時期の日本をめぐる人の移動は、移動先がどこであっても、日本の勢力圏拡大・崩壊を照らし出すものであること。第二は、その地域にいつ、いかなる経緯で移動、定着し、地域社会を形成したかを、移動する前の地域社会との関係からみることで、東アジア、太平洋などの「地域」がどのように形成されたのか、また「地域」相互の関係としての「国際関係」が分析できること。第三は、移民を権力関係のなかで一方的に規定される存在としてのみ捉える研究、または「主体的選択」、「生存戦略」を重視してそれを生んだ権力関係の分析が後景に退きがちな研究、に対して移民像をどう提示できるのか。第四は、冷戦後のグローバリゼーションが日本にもたらしたとされる問題を、日本の敗戦60周年(共同研究開始年)までの間に放置、積み残してきた問題、特に大日本帝国の形成と崩壊をめぐる問題から考察する必要性、であった。そこで、第二次世界大戦時の動員と「引揚げ」に、移民の戦前、戦後の移動や定着と国際関係の変容が特徴づけられると考えた。本書のサブタイトル「国際関係と地域の視点から」は以上の関心から生まれた。 共同研究では、「引揚げ」をめぐる個別の地域・「移民」の特徴が明確になり、相互の関連もみえてきた。これは、自らの方法論を問い直す過程でもあった。 国際関係学を専門とする一執筆者として、本書の特徴を二点指摘したい。第一は、「ヒトの移動」と表現されるようになった「移民」の研究の問い直しである。近年はライフヒストリー、オーラルヒストリー研究も盛んだが、移動する人間の「人なるがゆえの部分」の解明はどう深められたのか。かつて吉澤南は、近現代の移民研究には、人間が奴隷貿易で物として扱われ、所有されたことからどう「解放」されようとしたか、つまり奴隷の問題がその後どのような新しい形で現れ、人間がそこからいかに「解放」されようとしたか、の解明が必要だとした。本書では、大日本帝国と米国の「移民」の問題の地域ごとの特徴、「解放」を求める動きを、権力政治との関係、集団内と外の共同、あるいは「解放」を妨げあう実態から明らかにした。執筆者が聞取りの経験を豊富にもっていたことは、「無名の人々」と一括りしない分析を可能とした。 第二は、近代国際関係を大きく変容させた二つの世界大戦における日本の立場と経験が、移民の生活、意識、移動、社会形成に与えた特徴の解明である。第二次世界大戦の「引揚げ」の分析には、日本が第一次世界大戦で漁夫の利を得、移民の進出や定着が進んだことに着目すべきと考えた。戦間期の移民が、大日本帝国の形成を促しつつ第二次世界大戦と敗戦をどのように準備し、戦後日本の人の移動と定着をどう方向づけたのか。 刊行直前の一年は「戦後70年」、シリア難民の深刻化と受入れをめぐるEU動揺の中にあった。「引揚げ」を国際関係と地域から問うことは、同時代史研究としての意義を未だ失わない。 [いまいずみ ゆみこ/法政大学教授]