神保町の窓から(抄)

▼依頼原稿の都合により、本欄が縮こまりました。 昨年の晩秋、色川大吉編著『五日市憲法草案とその起草者たち』を上梓した。300頁を超えるやや重めの本だ。この本の元は、1968年の夏に東京経済大学色川ゼミ一行が五日市深沢村の土蔵の中から発見した「五日市憲法草案」を解読して直後の1970年、書肆評論社から発行されたものである。当時の書名は『民衆憲法の創造』であった。この旧版を買い求めたのは何時だったろうか。蔵書の奥付に購入日の記述はない。鉛筆で傍線を引いてもいないから、読んだという確証もない。心許ない蔵書であった。 2013年秋、皇后美智子はあきる野市の郷土館を訪れ、この草案の原物を目にした。皇后誕生日に際して、記者会見があった。皇后は東日本大震災や福島原子炉の事故にふれたあと 「この年は憲法をめぐり。近年に増して盛んな議論が取り交わされていたように感ずる」と述べたあと、この五日市憲法にふれて「明治憲法の公布に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が寄り合い、討議を重ねて書きあげた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204条が書かれており、(中略)長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないか」と述べた。安倍政権が戦後の安全保障政策を大きく変質させようとする安全保障法関連法の成立や改憲案が出されている時期だった。このことを意識しての批判的発言かとも思った。憲法第四条には「(天皇は)国政に関する権能を有しない」と規定されている。皇后は天皇ではない。だから、これくらいのことは言ってもいいのか。 この記事にふれて先の『民衆憲法の創造』の存在を思いだした。一読の後、「五日市憲法」と口にする割には、これが何たるかを理解している人は少ないのではないか、と推測した。パソコンを開いて見ると、類書とおぼしきものは結構ある。子ども向けに書かれたものもあったが、この草案の発見者色川一統のものはわずかであった。本屋に出来る平和運動などタカが知れている。われわれは色川さんに再刊を懇請した。手直しされて刊行されたこの本は(わが社にとっては)好調な発進だ。本号掲載の新井勝紘さんの文章もあわせご覧いただき、購読、あるいは子どもたちへの贈答にお使いいただければありがたい。 ▼この本に先立ち色川大吉著『近代の光と闇』をつくったのは2013年の正月だった。朝日新聞で上丸洋一さんは「著者は歴史の闇の中に消え入ろうとする人物に光をあて、歴史の辛さをともにかみしめる」と五日市憲法の起草者千葉卓三郎や芸者の君ちゃんなどに温かい目を注いでくれた。 図書新聞での河田宏さんは過激だ。「近代民衆史を開拓した〝野戦攻城の闘士〟と色川さんを胴上げる。「色川大吉はアカデミズムに反旗を翻した竹内好、橋川文三の言う野戦攻城の闘士であった」と繰り返す。この2著、いつかは「堂々二千部突破!」と大広告で報告したいものだ。