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  • PR誌『評論』173号:優しさを基盤とした地域メディアの活用

優しさを基盤とした地域メディアの活用

坂本佳鶴恵

 かつては自分が住んでいる街の首長(区長)がどんな顔をしていて、どういう話し方をするのか、まったく知らなかったし、関心もなかった。CATVがはいっているマンションに住んで初めて、区長の顔を覚えた。だからといって私の区に対する関心が増したわけではない。CATVでもっぱら見ていたのは、近所のレストラン情報である。
 新しいメディアを使うと、それで新しい世界が開けたような気になる。CATVは、今までの区の広報紙では年に一度の写真程度だった区長の顔を、日に何時間も音声つきで見せてくれる。今までマスメディアでは紹介されなかった近所の店の紹介もしてくれる。地域の新しいメディアの導入によって、より多くの情報が伝えられるようになり、より地域に密着した情報も得られるようになった。
 しかし、区長の顔と話し方がわかったからといって、その内容への興味が深まったり、区政への参加意欲が増すわけではない。もともと近所によいレストランを探していたので、レストランの情報はよくみたが、今までより特に近所のレストランを使うようになったわけでもなく、ましてや近所や地域の誰かとコミュニケーションをとるようになったというようなことはない。これで、新しいメディアの導入が地域を活性化したといえるのだろうか。
2005〜2007年度、総務省は予算をつけて地域SNS等を活用した住民参画に関する実証実験をおこない、ICT(Information and Communication Technology)利用による地域の活性化を促した。そのため、多くの地域SNSが誕生した。しかし、インターネットを取り込んだ新しいメディアを導入しただけで、地域が活性化されるわけではない。
 地域メディアは、何をもたらし、何をもたらさないのか。新しい地域メディアによって、何が可能となるのか。そして、私たちはどのようにそれを使っていけば地域に貢献できるのか。そうした基本的なことがらをきちんと議論していかなければ、せっかく多額の予算を使って行政がインターネット・メディアによる地域活性化を図っても絵に書いた餅に終わってしまう。
 本書は、地域SNSやブログなど、インターネットを用いた最近の地域メディアの動向と具体的な活用事例を多く紹介し分析しながら、新しいメディアが地域を活性化するとはどのようなことなのか、どうしたら地域が活性化されるのか、という問いに真摯に答えようとしている。
 ここで対象とされている「地域」とは、たんなる空間スペースではない。地域のネットワーク、アイデンティティ、社会的・経済的なリソースなどを指している。そして、地域の活性化は、住民や地域に関わりをもつ人々の間でのコミュニケーションが活発になり、ネットワークが緊密になることである。
よく、地域おこしというと、商店街の活性化ばかりが議論される。確かに「シャッター通り」といわれるような寂れた商店街に人を呼び込むことは重要である。しかし、この本はその前提となる地域の存在し続ける力や、住民が幸福感をもって生活できるといったことに注目している。経済的な観点からばかり地域おこしを語りがちななかで、こうした視点は重要である。
 特に本書で多く語られている「ヴァルネラビリティ」という概念は興味深い。ヴァルネラビリティとは、脆弱性と訳されることが多いが、本書は、それを「誘発性」と解釈する。脆弱性は、ネットにおける攻撃の対象となるように、その弱さゆえに他者からの働きかけを誘う。たとえば病気をもつ高齢者に対して周囲が補助しようとする、新しく引っ越してきた移住者に対して、近所の人がいろいろ地域の情報を教えてあげる、育児中の母親たちが相互に助け合うなどである。
 通常弱みとされる部分がコミュニケーション上の強みとなるという逆転の思想は、地域の福祉や人々の助け合い、幸福感を考えるうえで、非常に重要である。弱肉強食ではコミュニティは持たない。地域住民の弱い部分を他住民の負担と考えるのではなく、コミュニケーションの核として、そこから活発で実りあるネットワークを作り出せるのなら、その地域は、住民全員にとって、とても住みよくなるに違いない。これは、優しさを基盤とした地域づくりという希望を与えてくれる本である。                                        [さかもと かづえ/お茶の水女子大学文教育学部教授]