社長は志を語るな

伊藤 正直

「社長は志を語るな。志は社員が語ればいい。社員が安心して仕事ができるようにすることが第一だ」。ずいぶん前のことになるが、栗原さんに向かって、そんな憎まれ口を叩いたことがある。さらに、もっと前には、「資料集や復刻版の割合をさげろ。売れれば日銭が入るからいいが、売れなきゃ在庫があっという間に溜まって経営を圧迫する。麻薬のようなものだから、依存症になると止められなくなる」と、減らず口を利いたこともある。
考えてみると、『経済安定本部戦後経済政策資料』(42巻)、『戦後経済計画資料』(5巻)、『国民所得倍増計画資料』(91巻)と、かなりの数の資料集を出してもらっていながらの減らず口だったから、「勝手な若造だ」、「生意気な若造だ」、と思われていたに違いない。深く反省しています。
反省しているのは、もうひとつ訳がある。2000年の情報公開法施行、2011年の公文書管理法施行によって、法制定の趣旨とは逆に、行政文書の大量廃棄が進行している。最近では、行政文書の多くがデジタル化され、ウェブで閲覧が可能となっているが、これもいつまで保存されるか、はなはだ心許ない。アメリカの公文書館NAが2000名以上、お隣の韓国の歴史文書館も700名近いスタッフを抱えて公文書の管理・公開を進めているのに、わが国立公文書館は事務も含めわずか47名である。これでは、仮に廃棄がストップしたとしても、公文書の管理・公開はままならないだろう。
したがって、散逸の危機にある貴重なこうした行政資料を、日本経済評論社が復刻してきたことは、学問的のみならず、社会的に大きな意義のある仕事だったということになる。資料を後世に残す、そしてそれを誰でもがみられるようにする、そうした仕事を日本経済評論社は長期間担ってきたのである。
もっとも、振り返って、こうした仕事を一民間出版社が担うべきなのかと考えると、やはり、首を傾げてしまう。国や公共的機関がきちんとやるべき仕事を代わりにやって、それで儲かればいいが持ち出しになってしまっては、ボランティアではないか。出版は、文化ではあってもボランティアではないはずだ。
そこで最初の憎まれ口になる。出版人の幾人かは、これまで、社会に向かってかなりの発言をしてきた。岩波茂雄しかり、美作太郎しかり、西谷能雄しかり。栗原哲也もその系譜に太字で書かれる一人だろう。
じつは、ときどき発行される『評論』が出ると、いつも最初に目を通すのが、最終ページの「神保町の窓から」である。これが面白い。もちろん、自社刊行の本の「宣伝」が一番多い。だが、社会への悲憤慷慨がある、人物月旦がある、出版業界への愚痴や嘆きがある、痩せ我慢がある。僕のようなスノッブ(知的スノッブといわせてほしい)にとっては、覗き見趣味を満足させてくれる。こんな面白い読み物はない。
この「神保町の窓から」の1986年7月から2012年6月までが、栗原哲也『神保町の窓から』として、影書房から出版された。本には腰巻がついており、表側には「出版は資本主義には似合わない」とあり、裏側には「出版で富を欲望するのは、犯罪に等しいことだ」とある。
そりゃそうでしょう。とくに学術出版を続けていこうとすれば、その通りです。「その意気やよし」。でもね、栗原さん、寅さんじゃあないですが、「それをいっちゃあお終いよ」。と、僕はいいたい。
儲ける必要はない。でも、きちんと採算が取れなければ、会社は続いていかない。著者と直接付き合うのは、編集者である。僕も、谷口京延さん、新井由紀子さんには、ずいぶんお世話になった。提出される原稿の水準や学問的意義を一番理解しているのは編集者でしょう。編集者が出したい本、出して欲しい本がきちんと出し続けられるようにすること、編集者がそうしたアンテナを張り続けることができるようにすることが社長の第一の仕事ではないですか。
もちろん、栗原さんは、そんなことは重々承知であろう。重々承知だが、「悪戦苦闘・善戦健闘」の半世紀は、志を語らずには続かなかっただろう。電子書籍化、電子ジャーナル化の嵐が世界を覆う今、紙媒体の書籍出版、とくに学術出版を継続していくことの困難はますます高まる。地味に細く生き続けるか、それとも、革新的な脱出の道を探るか。いずれにせよ、陽気なペシミズムでしばらくは進みましょう。今後ともよろしくお願いします。
[いとう まさなお/大妻女子大学教授]