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横浜臨港パークのまどろみ──憲法とTPP

田代 洋一

5月3日、横浜臨港パークの憲法集会に参加した。休日に東京まではおっくうだが、県内なら足を向けやすい。無機質な人工都市の海際というロケーションも5月晴れの季節に合う。
主催者は何回も旗を降ろすよう呼びかけていた。旗は視界をさえぎるが、集合の目印を引っ込めろと言われた方も戸惑うだろう。見渡したところ圧倒的に集団参加だが、私のような一人参加もそこそこみられる。グローバリゼーションの時代、「ばらける」個が一つのイッシューでアソシエートする公共空間の形成にかけたい。そんな思いに旗印は戦国時代~高度経済成長期の遺物にみえるが、そこにもアソシエーションはあるのだろう。
集会の趣旨は、憲法、9条を守れということだ。しかし「守れ」には違和感がある。憲法9条2項は国権の発動たる戦争のための戦力を保持しないと宣言した。だがその時そこにはアメリカ占領軍という最強大な戦力が厳存した。「独立」後も日米安保条約で米軍基地が沖縄をはじめ存在し続けている。9条は戦力から自由ではなかった。
にもかかわらず9条は、日本が戦争に巻き込まれず、他国民を殺したり、殺されたりしない絶大な歯止め効果、「戦争をしない国」のイメージ効果をもってきた。それは九条を戦力から分離させた国民の力であり、国際社会もそれを信認した。だからその一点で結集し、守ろうという気持ちは分かる。しかし今やその賞味期限は切れつつある。集団的自衛権の行使容認と安保法制の下では、もはや「9条と米軍は別ですよ」とは言えない。ISによる日本人殺害は、「戦争をしない国」のイメージ効果の消失を見せつけた。
だから九条を変えろと改憲勢力は言う。それに対して「9条を守れ」ではなく、「9条の自立」を言うべき時ではないか。そして9条が自立するためには、安保条約を廃棄するしかない。日本はそこまで来てしまった。と言っても「安保廃棄」ではこれだけ人は集まらないなと思いつつ、ついうとうしてきた連休の午後である。
TPPの根っこも安保条約にある。政権は一貫してTPPを安全保障問題としてとらえてきた。安倍首相はアメリカ議会で「TPPは安全保障上の大きな意義がある」と強調した。「ならば安保のツケをTPP(経済)で返せ」。これがアメリカの論理だ。その挙句が、米日だけがアジアインフラ投資銀行(AIIB)に背を向けることになった。そして孤立すればするほどTPPにしがみつく。
ルールを制した国がグローバル化時代の覇者になる。アメリカは、アメリカンスタンダードをグローバルスタンダードとして押し付け、グローバルスタンダードの名でアメリカの国益、アメリカ原籍多国籍企業の私益を追求する。ルールと私益の二面追求である。
ルール面では、非関税障壁が主たる分野であり、ISDS(投資家と国家の紛争解決)はその象徴である。日本政府は公共政策は対象外と額面どおりに受け取っているが、それは「投資家の利益を害さない限り」という保留付きに過ぎず、国家が国民の安全・健康・環境を守る主権は侵される。日本の国内で起きた問題を海外の司法に訴えられ、その判決に従わされることも、司法権が最高裁以下の裁判所に属するとした憲法76条1項、そして憲法を最高法規とする98条1項に反する。
私益面では、特に日本を米日二国間協議の枠にはめ込んだ。そのフレームは安保条約第2条の経済的協力にある。そこではアメリカは、米国産米の特別輸入枠21・5万トンの要求など、TPP参加国なかんずく日本に吸血する。
首相は施政方針演説で、「日本を取り戻す」「この道しかない」「戦後以来の大改革」の筆頭に農協「改革」を掲げ、「米国と共に(TPP)交渉をリード」するとした。「この道」とは「農協を潰してTPPへ」の道である。農協叩きのなかで、今やTPPの帰趨はアメリカ議会にかかっている。培ってきた民主主義の差ともいえる。
そういう政治・政策の季節にあって、一つ気になることがある。それは政治・政策への発言が定年世代に限られ、現役世代からの発言が少ないことだ。しかしアカデミックな「実証」研究の枠組を成しているものに口をつぐんで、実証研究が成り立つだろうか。
集会のトークでは、大江健三郎等の男性の話は頭に訴えるが、雨宮処凛、香山リカ、落合恵子等の語りは心に響く。女性の語り口になぜ説得力があるのか。とりとめもなく考えつつ、帰路、ビールの店を探したが、昔なじんだ街はすっかり変わっていた。
[たしろ よういち/大妻女子大学社会情報学部教授]