日本経済評論社の復刻資料

浅井 良夫

『評論』200号への寄稿を栗原社長から依頼されたことは、毎号必ず読ませていただいている読者としては大変な光栄である。依頼状の添え書きに、「経企庁資料の編集のことなど」との注文が記されていたので、経済安定本部資料と経済企画庁資料のモニュメンタルな二大復刻事業について触れようと思う。
私は、占領期を勉強していた時には、『経済安定本部 戦後経済政策資料』、高度成長期に研究対象を移し始めた頃には、『国民所得倍増計画資料』の復刻編集作業に携わることができ、歴史研究者としては大変に得をしたと感謝をしている。しかし当時、復刻事業の重要性が十分に理解できなかったことには、今でも忸怩たる思いが残る。若気の至りで、「復刻などは一流の出版社が行う仕事ではない」などと生意気なことを口走ったことなど、汗顔の至りである。
経済安定本部(安本)の史料は、1980年代後半に私が初めて見た時は、経済企画庁の図書室の棚に紐で結わえて詰め込んであった。戦争直後の質の悪いわら半紙にガリ版で印刷された史料が多く、手を触れると崩れそうで、気を使いながらページを繰ったのを覚えている。1973年頃に、東京大学のグループが悉皆目録作成の大作業を行った後は、利用する人も稀で、死蔵に近い状態であった。栗原社長が、どのようなきっかけで、この史料の復刻事業に取り掛かられたのかは承知していないが、経済企画庁図書室の棚の相当部分を占領していたこの膨大な史料の復刻を決断されたのは、英断だったと思う。
安本史料は、おそらく取捨選択されることなく、そのまま残されたのであろう、まさに玉石混交の雑然とした史料群であった。NIRA(総合研究開発機構)に林健久先生を代表者とする研究会が組織され、史料の山を仕分けする作業が始まった。伊藤正直氏、岡崎哲二氏、御厨貴氏など錚々たる研究者が作業に加わった。作業は、マイクロ・フィルム化した史料を焼き付けたものから、重要なものをピックアップする形で行われた。編集用に自宅に届いた二箱のコピーの重さには驚いた。おそらく、一箱20キロくらいの重さだったのではないかと思う。復刻の印刷に際して、ガリ版のかすれた文字を丹念になぞる作業を根気よく続けられた谷口京延氏の熱意と努力には敬服した。『経済安定本部 戦後経済政策資料』は、膨大な史料を厳選して体系的に整理した資料集であり、とても使い勝手がよく、いまでも輝きを失っていない。
引き続いて『国民所得倍増計画資料』の復刻作業にもお誘いいただいた。経済企画庁図書館が所蔵していた倍増計画の立案過程の史料を編集する作業である。林健久先生をリーダーとする小規模の編集体制で復刻作業が行われた。経済審議会という審議会の資料なので、だいたい時代順に並んでおり、ほどほどに整理されていて、安本史料のような史料選別の悪戦苦闘はせずに済んだ。この作業のハイライトは、倍増計画に携わった方々への聞き取りであった。林雄二郎氏、宮崎勇氏など、何人かの経済企画庁のエコノミストから、直接に倍増計画の経緯やエピソードを伺うことができたことは、本当に有益であった。歴史家は、歴史的事件の当事者に会えるという幸運に恵まれることは少ないが、直接にお聞きすると臨場感があり、本や史料ではわからない点で納得がゆく部分も多かった。『国民所得倍増計画資料』は、すでに、これまでに多くの研究者に利用されており、声価は定まっていると言えるだろう。
最初に書いたことに戻れば、復刻事業はけっして出版社にとって、副次的な仕事ではない。本の形態での復刻は消滅するかも知れないが、史料はやはり歴史家が整理をし、解読をし、解説をつけることで、生きてくる。記録媒体が変化をしても、歴史家の基本的な作業は変わらない。日本経済評論社のこの二つのモニュメンタルな復刻事業は、安本や倍増計画を研究する人にとどまらず、史料編纂事業の事例として、今後も広範な人々から顧みられ、参考にされると思う。昔の悪口雑言の罪滅ぼしに、この一文を寄せる次第である。
[あさい よしお/成城大学経済学部教授]
(注)林雄二郎氏、宮崎勇氏らからの聞き取りは、林雄二郎編『日本の経済計画』(1957年)の新版(1997年、日本経済評論社刊)の巻末に座談会記事として収録されているので、ぜひ、ご覧いただきたい。