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戦後70年──アジアとの共生を考える

上川 孝夫

小生の専門は国際金融論である。教え子には日本人だけでなく、中国など海外からの留学生も多い。これまで学部・大学院あわせて140名近い留学生を送り出している。国籍や民族の違いを越えて学び、議論する場を提供することは、単に国際交流のみならず、学問の発展にとっても重要であり、大学の本質的使命とも言える。しかし多くの留学生が行き来する姿など、70年前の日本では想像にも及ばないことだったのではないだろうか。
外国人の大学院生の中には出身国の大学で日本文学を専攻した者もいて、最近何かと取り上げられる夏目漱石も話題になる。第一次大戦前、夏目が英国へ留学した当時も、やはり人や資本や商品がグローバルに移動した時代であった。教科書は帝国主義の時代と教えている。
2001年の「9・11」の直前、小生は在外研究でロンドン大学に赴いたが、しばらくして地元の新聞が、百年前の1901年に漱石(金之助)が英国にいたころの様子を報じていた。国勢調査の記録を百年間非公開とする「百年ルール」のしばりがなくなったためであった。その折、学部ゼミ生がゼミ活動と称してロンドンまで駆けつけてくれたが、今昔のグローバリゼーションの話に花が咲いたものである。
だが、夏目がロンドンを後にして第一次大戦が起こり、大恐慌を経てグローバル化は大きく後退し、第二次大戦に突入する。戦後再びグローバル化の波が現れるのは1980年代、とくに90年代以降のことである。しかし、始まったのは米国とドルの一極集中の時代であった。市場原理主義的思考が強まり、2008年にはリーマン危機が勃発する。
最近小生が『週刊エコノミスト』の書評欄で取り上げた本の一冊に、米国のファーガソンという映画監督が著した『強欲の帝国』がある。そこにはかつてガルブレイスが『ゆたかな社会』(1958年)を発表した頃とは比べようもないほどの「格差社会」の実態が描かれている。とりわけサブプライムローン証券に群がった一握りの金融業者らの飽くなき強欲ぶりが赤裸々に描かれている。改めて唖然とさせられた。
現在のグローバル化をどう考え、また危機後の世界をどう組み立てるのか。ゼミ生や留学生などとしばしば議論するが、単純ではない。ある学生が発言すると、これに反論する学生が必ず現れる。世界が複雑になりすぎて、座標軸が見えにくくなっているのかもしれない。グローバル社会をいかに持続可能なものにしていくか。これは戦後70年を迎えた世界や日本に問われている課題だろう。
日本経済評論社も設立から45年目を迎えたという。1970年というと、高度成長が終わり、オイルショック、変動相場制への移行と続いた激動の10年の起点にあたる。グローバル化が始まり、小生が出版でお世話になりはじめたのは90年代の後半からである。これまで『通貨危機の政治経済学』、『グローバリゼーションと国際通貨』、『国際通貨体制と世界金融危機』などの編著や他の本に参加させていただいたが、編集者の心意気と高い理想を求める姿勢には、いつも頭が下がる思いである。振り返ってみると、グローバル化の影の部分を扱った本が多かったように思うが、世界はすでに次の時代に向けて動きはじめている。
冒頭の話にもどるが、ある中国人留学生が授業中に語った言葉がいまでも脳裏に焼きついている。「アジアの通貨は一つになっても構わない。人民元もなくなってよい。ただ中国という国が残ってくれればよい」。少し驚いて、その真意を尋ねると、愛国心をもつこととアジアの人々が協力することとは矛盾しないという。当然といえば当然だが、しかし最近、人民元の台頭が著しい。
小生のゼミの日本人学生も最近、「ASEANは共通通貨を目指すべきだ」と発言していた。将来はその共通通貨を発行する中央銀行の仕事に携わりたいという。ASEANは今年12月、経済共同体を発足させる予定だが、通貨統合まで日程にのぼっているわけではない。ユーロ危機を経験した現在、通貨統合が一筋縄ではいかないこともその学生はよく知っている。
だが世界は現在、米国やG5を中心とする先進国主導の枠組みが崩れはじめ、新興国の台頭やG20などで新しい時代に入りつつある。ひとりよがりの歴史観ではなく、グローバルな世界史の文脈を振り返り、日本の歩みを見つめ直し、アジアとの共生を真剣に考える機会として、戦後70年という節目の年を位置づけたい。
[かみかわ たかお/横浜国立大学大学院教授]