「マルクス主義者」の課題

暉峻 衆三

今年91歳。小学校入学から大学入学までついて回った戦争も1945年8月の日本の敗戦でようやく終わり、ぼくの戦後が始まった。
復学したわれわれ学生にとって日本をどう変革し、再建するかが大問題だった。戦時中大学を追われたマルクス系の教授も東大に戻ってきた。こんにちと違って、当時はマルクス主義の潮流は研究者、学生のあいだで強かった。学生、院生として農業問題を研究対象に選んだぼくは、マルクス系の宇野弘蔵、山田盛太郎、大内力(兵衛の子息)から多くの教えをうけた。宇野は「宇野学派」の重鎮、大内はその「高弟」、山田は「講座派」の重鎮だった。
周知のように、戦前期日本資本主義の把握をめぐって、その「軍事的、半封建性」を強調する「講座派」と、その優れて高度な資本主義性を強調する「労農派」の対立があり、それは当面する日本の変革(革命)の性格とも絡んでいた。ごく単純化していうと、前者は「軍事的、半封建的」日本資本主義の民主主義的変革を通して社会主義へと進む二段階革命を、後者はすでに高度の帝国主義段階にまで達した日本資本主義を社会主義に変革するという一段階革命を想定していた。いずれも究極的に社会主義を想定する点では共通していた。
山田は『日本資本主義分析』(岩波書店)の著者として「講座派」の象徴的存在とみられ、「労農派」系の宇野は山田のその把握の仕方を厳しく批判していた。ここでは割愛するが、あい対立する「講座派」と「労農派」の両巨頭の教えを受けたぼくは、その論争を踏まえつつ日本資本主義の農業問題をどう正しく捉えるべきかについて苦闘もし、自分なりの考えをまとめもした(暉峻『日本農業問題の展開』上・下、東京大学出版会、1970、84年、『わが農業問題研究の軌跡』御茶の水書房、2013年)。
宇野はマルクス経済学について三段階の体系を構成した。すなわち、まず資本主義の循環的運動法則を解明する基礎的な「原理論」、ついで世界史の展開と関連して重商主義から自由主義、帝国主義に至る資本主義発展の「段階論」、一国資本主義を解明する「現状分析論」がそれだ。帝国主義は世界史的に資本主義の最終段階であり、「現状分析論」は「原理論」、「段階論」を踏まえつつ一国資本主義の変革に科学的根拠を与えるものとして経済学の最終目標だとした。
戦前期日本資本主義の分析を巡って対立した宇野と山田だが、おなじマルクス経済学者として、克服し難い矛盾を抱える資本主義には歴史的限界があり、それを乗り越えるものとして社会主義の到来を想定し、その基点にレーニン指導下に遂行された1917年ロシア革命を据える、という点では共通していた。
だが、そのロシア革命基点の「ソ連社会主義」は1990年前後に崩壊し、資本主義体制に合流した。ソ連型社会主義に異を唱え自主管理型社会主義を対置したユーゴスラビアもまた崩壊した。そのもとで、アジアで社会主義を標榜した中国やベトナムも急激に「市場経済化」していった。宇野や山田はこれらの激変をみることなく他界した。
こういった衝撃的な事態は、たんに宇野や山田の理論のみならず、マルクス理論そのものの命脈にも関わるほどのものだったといえる。いま、マルクス主義者にはつぎのような問題の解明が強く求められているのではないだろうか。なぜソ連型、ユーゴ型「社会主義」は共に崩壊したのか。なぜ中国やベトナムは急激に「市場経済化」していったのか。マルクス主義の真髄は、資本主義には歴史的限界があり、人類はやがてはそれを乗り越え社会主義に移行するとするところにある。だとすれば、めざす社会主義はどういう道筋と中味をもつものなのか、それは崩壊した「社会主義」とどう違うのか。率直にいって、こんにちまでのところ、マルクス主義者がこういった問題に十分に取り組み、その解明に成功しているとはいえないようだ。
長年にわたる国際的、国内的に総力を挙げた施策にも拘らず、人類は「恐慌」を含む景気変動の制御、不平等の拡大、貧困と飢餓、地球環境の悪化の克服に成功しえていないのも事実だ。マルクスがいまなお世界の多くの人びとに紐解かれる所以だ。
出版事情が厳しさを加えるなか、創立45周年、『評論』200号を迎えた日本経済評論社、これからも以上述べたような問題も含め後世に残る企画を続けていって欲しいと望むこと切だ。
[てるおか しゅうぞう/日本農業経済学会名誉会員]