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戦後70年目の鉄道   ──リニア中央新幹線と民主主義

老川 慶喜

運輸省が1947年8月に発表した『国有鉄道実相報告書』には、敗戦直後の国鉄の様子が活写されている。それによると、国鉄は戦時中に「随分無理をし」、「全くヘトヘトになって」敗戦を迎えた。しかし、国鉄の使命は終わらず、あらゆる産業が「仮死状態」になり、すべての生産が「一時殆んど停止してしまった」が、国鉄は「国民の足」「国民の動脈」として「一瞬たりとも休止することを許されな」かった。国民が「敗戦という未曾有の事態」に直面して、「均しく呆然」としているなかで、「国鉄従事員は、一時の休息をも与えられず疲れ切った車両や施設にむちうち、新しい使命を以って再出発」した。敗戦直後、「汽車が動いている」ことが、どれだけ多くの国民を勇気づけたことであろうか。
その後国鉄は、1949年6月に経営形態を公共企業体にかえ、日本国有鉄道として戦後日本の経済発展を牽引し、第18回オリンピック東京大会が開催された高度経済成長さなかの1964年10月には「夢の超特急」とよばれた東海道新幹線を開業し、東京~新大阪間を3時間余(当初は4時間)で結んだ。東海道新幹線は、高速鉄道時代の幕を開け、斜陽産業といわれていた世界の鉄道に大きなインパクトを与えた。
新幹線鉄道は山陽道にそって西に延び、1967年3月に山陽新幹線新大阪?岡山間の開業式が行われ、75年3月には新大阪?博多間の全線が開業した。この間、1970年5月には「全国新幹線鉄道整備法」(全幹法)が公布され、全国的な新幹線鉄道網の整備が図られた。以後新幹線鉄道網は、東北新幹線、上越新幹線、北陸新幹線、九州新幹線と拡大し、2012年8月には北海道新幹線新函館(仮称)~札幌間、北陸新幹線金沢~敦賀間、九州新幹線西九州諫早~長崎間の起工式が行われた。そして、今年の3月には北陸新幹線長野~金沢間が開業し、2016年3月には北海道新幹線新青森~新函館北斗間、2022年度には北陸新幹金沢~敦賀間が開業する予定になっている。北陸新幹線敦賀~大阪間のルートはなおも未定であるが、北陸新幹線が全線開業すれば東京~大阪間は北陸新幹線でも結ばれることになり、懸案となっている東海道新幹線の代替線も確保される。九州新幹線西九州ルートも着々と整備されつつあり、日本海側の開業路線はまだわずかであるが、ミニ新幹線方式によって在来線を整備していけば、新幹線鉄道が全国に張り巡らされるのも、そう遠い将来のことではないように思われる。
一方、このように新幹線鉄道の全国的なネットワークが整備されるなかで、JR東海を建設営業主体として進められているリニア中央新幹線への期待が高まっている。JR東海によれば、リニア中央新幹線は超電導磁気浮上方式を採用し、最高時速は505キロで、東京~名古屋間286キロを約40分、そして東京~大阪間438キロを約一時間で結ぶという。前経団連会長の米倉弘昌氏や官房長官の菅義偉氏が、1964年の東京オリンピックに間にあわせて東海道新幹線が開業したことに思いを馳せ、二度目の東京オリンピックが開催される2020年までにリニア新幹線を完成させるよう要請したが、そう簡単にはできないとJR東海の側からいさめられるという一幕もあった。
しかし、なぜJR東海という一民間公益事業会社がリニア中央新幹線をみずから建設し、運営することになったのであろうか。1973年に国が中央新幹線を全幹法の基本計画に組み込み、74年に国の指示を受けた旧国鉄が地形・地質調査を開始した。また、リニアの開発はもともと国鉄の鉄道技術研究所で進められ、1987年4月の国鉄の分割・民営化後は鉄道総合研究所(JR総研)が一手に引き受け、その成果はJRグループの共有財産とされてきた。それが、いつの間にかJR東海が同社の自己資金で中央新幹線を建設し、みずから経営することになってしまったのである。
事態が動いたのは、民営化後の1988年9月、JR東海が山梨のリニア実験線の建設に1000億円程度を支出すると発表し、同年11月に石原慎太郎運輸相がそれを受け入れ、中央リニア新幹線を国家プロジェクトとして進める必要があるという認識を示してからであった。さらにJR東海は、2006年に実験線の延伸のために単独で3000億円を投入するとし、07年4月には2025年までにリニア中央新幹線を開業すると発表した。また、同年12月には建設費を全て自己資金でまかなうと述べ、矢継ぎ早にリニア中央新幹線の早期開業に向けて布石を打った。奇しくも2006年9月には第一次安倍晋三内閣が発足しており、同内閣の長期戦略指針「イノベーション25──夢のある未来の実現のために」の中間報告にも、リニア中央新幹線が盛り込まれることになった。
こうして民間会社が自己資金でやる事業だから、口をはさむ余地はないという雰囲気が広がり、2011年3月には、東日本大震災の直後であるにもかかわらず、国土交通省の審議会は耐震性には問題がないとして建設計画を認める最終答申案をまとめ、同年5月に大畠章宏国土交通相はJR東海に建設を指示した。しかし、リニア中央新幹線にはさまざまな疑念が提出されている。まず鉄道技術としては完成度が低く、環境にどれだけの影響があるのかもはっきりしていない。事故のさいの乗客の避難の仕方も明確ではない。掘り出された膨大な量にのぼる土砂をどう処理するのかも決まっていない。2011年3月の東日本大震災における福島第一原子力発電所の事故を想起すれば、電力を通常の新幹線よりも三倍も消費するといわれる点も問題である。そして何よりも、人口減少社会に向かうなかで、なぜ東京と大阪を一時間で結ばなければならないのであろうか。
こうした疑念にまったくこたえることなく、事態は「前のめり」に進んでいる。それは、現政権の実質的な審議をしないで集団的自衛権を閣議決定し、日本国憲法をないがしろにしていく手法や、沖縄の普天間米軍基地の移転先は辺野古沖しかないと決めつけ、沖縄県民の意見にまったく耳を貸さない態度とよく似ている。民主主義とは、利害や価値観の異なる諸個人が時間をかけて議論し、合意を形成していく努力によってなりたつものであるとすれば、リニア中央新幹線についても、21世紀にふさわしい鉄道網はどうあるべきか、国土や産業のあり方をふまえ、幅広く議論を展開していく必要があるように思われる。戦後70年を迎えて、日本の民主主義の危機が、リニア中央新幹線の問題にも現れているといわざるをえないのは、まことに残念なことである。
[おいかわ よしのぶ/跡見学園女子大学]