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  • PR誌『評論』199号:『憲法劣化の不経済学──日本とドイツの戦後から考える』刊行にあたって

『憲法劣化の不経済学──日本とドイツの戦後から考える』刊行にあたって

相沢 幸悦

本書は、現行「日本国憲法」九条のもとでも、安倍政権による集団的自衛権の行使が可能であるという2014年7月の閣議決定、さらに、これから進む法整備を批判したものである。
どういうわけか2012年12月に政権に復帰できた安倍首相は、日本銀行に金融政策だけでなく「経済政策」も押し付けて、円安と株高、企業収益増をはかってきた。この、株価と内閣支持率が高いうちに、隣国に侵略戦争の謝罪ばかりしてきた卑屈な「戦後レジーム」から脱却しようとしている。
とはいえ、「憲法」改正のハードルは高いので、とりあえず集団的自衛権を行使できるように、「憲法」解釈の変更を画策している。しかしながら、「憲法」九条の解釈を変更して、集団的自衛権を行使するようになれば、戦争放棄という形での侵略戦争の反省と謝罪を止めてしまったということになってしまう。これが「憲法」劣化に他ならない。
五月から集団的自衛権行使のための法整備がおこなわれ、しかも、戦後七〇年の首相談話では、侵略戦争への反省と謝罪をお得意の「官僚文学」で巧妙に回避し、戦後日本の経済復興と繁栄、国際貢献と国際的地位の向上を高らかに謳い上げることであろう。
もしも、侵略された東アジア諸国が、日本を侵略戦争をまったく反省しないとんでもない国だとか、対米従属の日本はアメリカの手先だ、という国際世論を醸成することに成功すれば、日本は、進みつつあるアジアの経済統合にも参加できなくなるかもしれない。
じつは、「同じ敗戦国ドイツは、侵略戦争(平和に対する罪)についてほとんど反省と謝罪をしていない」、というと奇異に感じられるかもしれない。ドイツ人は、ヒトラーに代わって、ホロコースト(ユダヤ人の大虐殺)について謝罪してきただけのことである。
先日他界したワイツゼッカー元ドイツ大統領は「過去に目をつぶるものは、現在にも盲目になる」という名演説で有名である。だが、この演説を詳細に検討すると、じつは、ドイツが「平和に対する罪」を犯したことには、ほとんど謝罪していないことがわかる。
それでもドイツは、世界中から真摯にホロコーストと侵略戦争を反省しているとして、戦後のヨーロッパで受け入れられてきた。こうして、ドイツは、ユーロという単一通貨の導入にまで到達したヨーロッパで、巨大な経済的果実を享受している。おかげで、ドイツでは、あくまでも高負担が前提であるものの、高賃金・高福祉が実現している。なんと、会社員は、夏などに6週間もの長期連続有給休暇をとることができる。日本では考えられない。
日本経済が生き残っていくには、ヨーロッパのドイツのように、アジアに市場を求めるしかない。もし、侵略戦争を真摯に反省していないと受け取られるならば、「国際社会で名誉ある地位」どころか、庶民が「健康で文化的な最低限度の生活を営む」ことすらできなくなってしまう。これでは「憲法」劣化などではなく、「憲法」違反だろう。
日銀に押し付けた2%のインフレ目標(政府は物価安定目標という)が達成されれば、「憲法」に定められた財産権が侵害される。預貯金金利がほぼゼロ、年金給付額が引き下げられる中で、インフレがおこれば、庶民の生活は破滅してしまうからである。これは、まぎれもなく「憲法」違反である。
安倍政権は、解釈改憲や日銀へのインフレ目標の押し付けなどを強行して「憲法」を劣化させるのではなく、現行「憲法」を厳格に遵守し、庶民が「健康で文化的な最高限度の生活を営める」ようにする責務を負っている。これが近代市民社会における国家の歴史的使命だからである。
国民の生命・健康・財産・安全・自由を守る政治を忠実に断行すべく国家権力を縛るのが「憲法」である。だから、「日本国憲法」99条は、「……国務大臣、国会議員、裁判官……は、この憲法を尊重し擁護する義務を負」っているのだ。これを時の権力が勝手に解釈を変更するなど国民と国家権力との契約違反で、言語道断の行為である。
本書は、現行「日本国憲法」を遵守することこそ、日本の「経済的な国益」を守ることだということをあきらかにし、「憲法」劣化が、日本の経済的な国益に根本的に反し、日本経済に深刻な打撃を与えるということに警鐘を鳴らすべく執筆した。
[あいざわ こうえつ/埼玉学園大学経済経営学部教授]