神保町の窓から(抄)

▼昨年暮れの衆院選挙は、立候補者はヤケに張り切っていたが、投票者はやや醒めていたように思う。アベノミクスも庶民たるわれわれのところまでは届かず、貧富の拡大というより、富が一部に独占されているように感じる。集団的自衛権や憲法改正は論点として表にはあまり出てはいなかったが、自公政権が勝てば、この問題は必ず最大の論争になり、彼らはその「推進」に邁進することはわかっていたはずだった。だが、選挙結果はどうだ。自公は定数の三分の二を越える325議席を獲得し、安定政権の基盤をつくった。なぜこんな結果がでたのか。小選挙区制は死票が多いというが、制度のせいばかりではあるまい。
 生きていくのに、飯を食わねばならない。大事なことだ。食えば喰ったで、さらにうまいものが食いたくなる。これは生きものの性であって、「いやしん坊」と揶揄する程度でいいのだが、この「欲望」が経済政策に援用し誘導されるとき「経済成長政策」として表れる。発展・成長しなければ立派な人間、一等国ではない、という理屈になる。成長という言葉には魔性が棲んでいる。マイナスのイメージはない。文句のつけようのない麗句である。だが、経済に限っていえば、発展・成長して誰が利益を得たか。乱暴な論は避けたいが、利益は均等に配分されることはない。配分されなかった側、配当の滓をもらった側から検証したらすぐわかることだ。これこそ現代史が証明している。いま、われわれの心に澱んでいるのは、平和に対する深層願望はあるが、それよりも明日からメシが食えなくなる、本当の貧者になってしまうかもしれないという、切羽つまった不安(恐怖)だと思えるのだ。安倍政権が間もなく、とてつもない乱暴者に豹変するのは予感しているのに、その彼から「みなさんの家庭に届く経済政策」と言われれば、私のこと、俺のことを考えてくれているのだと、それは優しい呼びかけ、囁きとして響いてくる。メシの誘惑に勝てていない。識者は「目先の経済的利益に縋りつき」と大衆を評論するが、われら衆愚の本音は、不本意ながら「ヘーワじゃ飯は食えない」ってことか。平和も飯も大事、でも悔しい結果だな。誇らしげに連日TVに映し出される安倍首相の血色のよい笑顔に、不快を感じながらも、今夜も酒場の隅で、呑み潰れているわが身がもどかしい。
▼村落史研究者の木村礎さんが逝って丸10年が経った。明治大学史資料センターの構想で『木村礎研究』なる本をつくった。学内では要職を勤めあげ、学外でも「足の史学」として現地実証主義の地方史学にその名をとどめるとはいえ、没して10年にして公的研究書になるには、いささか早くはないか。木村礎が歴史になるには熟成期間が短かすぎる。そう思いながらも、木村も青年、こちらも尻が青かった頃、灼熱の夏を共に歩き、同じテーブルで食べ、一緒に飲んだ者として、いやな感じはしなかったので、この本づくりに参加した。執筆者の陣立てや立項にわずかな不満は残ったが、「早すぎる」木村の顕彰をうれしく思ったことは隠さない。
 明治大学に(何学部の学生でもいい)学部間共通総合講座というものがある。そこでは「明治大学の歴史」を講義している。今年は木村礎がとりあげられている。テーマは木村礎は何をしたかである。16回連続講座のうち一回だけ何か話せということになり、引き受けた。「キムラ」だの「モトヰ」だのと知ったように話していたのだが、90分間学生に話すとなると何も知っていないことを思い知らされた。よくないことだ。
 木村がなぜ歴史家になったのか、を考えているうちに、歴史家のすべては(たぶん)現代という時代、自分が生きている時代はどのようにして成り立ってきたかを思索しているのだと気づいた。木村は近世村落史の研究者だが、その研究の彼方には、木村が生きた時代、教え子たちが生きていく時代を見据えていたことにも気づいた。木村が現代について書き残したものは少ない。ひとつだけ太平洋戦争時の体験をもとにした『少女たちの戦争』(小社刊、1987年)という奇書のあることを思いだし、私はこの本を通して木村が何を問いかけていたかを話すことにした。これは、19歳の冬に就職した東京下町の女学校生徒との物語。軍需物資(手榴弾や飛行機の部品)をつくるため勤労動員された女生徒を引率していった日々と、敗戦によって四散した少女たちとの再会とその後の話である。木村はこれを書きつづけながら、歴史を語り継ぐ大事さは、東条英機や天皇ヘーカのことだけでなく、ひび割れた手を暖めながら武器をつくっていた少女たちの中に、焼夷弾降る中を逃げまどっていた父母の生活の中にあるのだ、という。下部からの視点、地方からの目線だ。「彼女らは一生懸命戦争に協力した、私もそれを指導した、日本が勝つことを信じていた」とも証言した。木村は別の言葉で締めくくる。「現在を過去にたれ流してはいけない。過去から現在を見る力を養うこと、これが歴史を学ぶということなんだ」と。当日、学生たちの目は輝いていた。 (吟)