「戦後の出発」の実像

木村 千惠子

今年2015年は、敗戦の日から70年の節目にあたる。この70年にわたる日本の戦後史のうちの「戦後の出発」について、小学校や中学校の社会科教科書はどのように記述しているだろうか。「〈もう戦争はしない〉戦争に敗れた日本は、アメリカを中心とする連合国軍に占領されました。日本政府はその指示のもとで、民主的な社会をつくるために改革を次々と進めていきました。〈戦後のさまざまな改革〉○軍隊を解散する○政党が再びできる○男女平等になる○女性の選挙権が保障される○言論・思想の自由が保障される○労働者の権利が保障される○農民が自分の土地を持つようになる○独占的な企業が解体される○六・三制の義務教育が始まる」(小学社会、教育出版)「〈日本の再出発〉1945年8月に日本が降伏すると、まもなくアメリカ軍を主力とする連合国軍が進駐した。……占領下の日本は、アメリカのワシントンにおかれた極東委員会によって管理された。東京にはGHQが設けられ、GHQの指令・勧告にもとづき日本の政府が政治をおこなう間接統治の形がとられたが、占領政策にはアメリカのアジア政策が強く反映された」(中学歴史、日本文教出版)。
なぜこのような文章を載せたのかというと、「戦後の出発」について、多くの日本人が持っている認識はこの範囲を出ないのではないか、と思うからである。それ以外には、映画やテレビで当時を再現する映像によって、イメージをふくらませる位のものであろう。私たち日本人は「戦後の出発」について、決まりきった貧弱な知識しか持っていないように思われる。戦後も70年がたとうというのに、なぜなのだろうか。中学・高校の歴史では古い時代ばかり詳しく勉強して、現代に至るまでに学年が終わってしまう。入試にあまり出ないから扱いが軽い。その教科書も政権の意向に添った内容に傾くため、保守政権が続く限り占領や戦後改革についての記述のスタンスは変わらない。また教師の立場としては、どのような視点で教えるかという位置取りが難しい。詳しく教えようとすれば政治的な話に傾く可能性もあり、地域資料も少ないため、占領のあらましと戦後改革の解説に終始するしかない。こうしたことが重なって、「戦後の出発」への理解はいつまでたっても深まらないのだろう。
事象の羅列のような記述からは、歴史の表層しか見えてこない。これを脱するためには、占領下に生きる人々の姿が見えるようなアプローチを加えて、占領期を立体的にとらえる必要がある。敗戦・占領という事実を日本人はどのように受け止め、戦後改革をどのように受け入れたのか、それが現在の私たちの生活や考え方とどう関連しているのか、そうしたことが解き明かされて、はじめて「戦後の出発」の理解に近づくことができるのではないか。占領も戦後改革も、その時代を生きる人々との関係の中でとらえることで、現代に通ずる道すじを見出すことができるのではないか。
こうした私の問いに方向性を示してくれたのが、栗田尚弥『地域と占領──首都とその周辺』(日本経済評論社、2007年)であった。占領政策が地域社会まで下りた時、どのような同調や軋轢を生んだのかについて示唆に富む論文が多く収められており、「GHQや日本政府の施策を地方人がいかに受け止め、いかに反応したかということを知ることなしに占領の実際を解明することはできない」という指摘には学ぶところが多かった。このたび日本経済評論社から『占領下の東京下町──『葛飾新聞』にみる「戦後」の出発』を刊行させていただいた。これは一九四七年に創刊された『葛飾新聞』という地域紙の記事を足がかりに、東京の東端で暮らす人々にとって、戦争、占領、民主主義はどう受け止められたのか、戦後政治にはどのような期待を抱いたのか、暮らしの再建はどのように進んだのか、といったことについて考察したものである。当時の世相(娯楽や事件・犯罪など)にも光を当てて占領期を描いてみた。「戦後の出発」についての理解が冒頭に示したような人の顔の見えない戦後改革を並べただけ、という地点から、拙書を糸口に占領されるということ、民主主義を体験すること、戦争の残した傷あとに向き合うことなどについて、踏み込んで考えるきっかけになれば、と願っている。
[きむら ちえこ/公立小学校講師]