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  • PR誌『評論』196号:三行半研究余滴 11 三くだり半は三行半

三行半研究余滴 11 三くだり半は三行半

髙木 侃

今回の三くだり半は、ごく最近インターネットオークションで落札し、購入したもので、難読と思われる文字が二文字あったせいか、意外に安価で落札できた。その二字とは、四行目「為後日」の次の二字で、初めの文字を「間」と読むと、つぎのつながりが悪い。筆者はこれを「一」と読み、一筆の意味で用いた「一墨」と読んだ。これまでの離縁状には、この種の文句はなく、ネットを見た人も一応に疑義を持ったに違いない。難読の文字があると購入を控える傾向があり、思わぬ拾い物をした気分であった。
古書肆で聞いた話だが、古筆や文人の手紙類をカタログ販売するとき、購入希望者から全文の読解ができているか否かの問い合わせが間々あるという。解読ができているなら購入しようということなのだそうである。したがって、古書肆主人もそれなりに古文書の解読に精通するようになり、結果として、より高価な値札がつけられるということであった。
早速、その離縁状の写真(本頁下段)と解読文を掲げる。用紙はタテ二九・二、ヨコ三七・五センチである。用いられた地域は不明、年号も干支のみで特定できないが、徳川時代のものと思われる。
    離別状之事
其方義、此度離別いたし候条、
向後何方え縁組仕候共、此方ニては
少も差構無御座候、
為後日一墨差遣候処如件
 未四月     繁   二             おふさとの
本文の内容はこうである。
あなたを、この度離別いたしました。これからどこへ縁組なされても、私の方では、少しも差し支えありません。後日のため、一墨(筆)さしつかわすところ、以上の通りです。
この離縁状でもう一つ気になる点がある。三行目の下を空欄にし、四行目を途中から書き出していることである。
筆者は次のように考える。離縁状は三くだり半と俗称されるが、それは本文を三行半に書いたからである。ここで夫繁二は本文の四行目をちょうど真ん中から書き出し、三行半に書くつもりで、したためてきたが、三行目を下まで書いては、四行目の文字数が不足してしまうと思い、三行目を途中まででやめて、四行目に移ったのではないかと考えられる(実際には為後日を三行目に書けば、ちょうど上半分空けた三行半になった)。
離縁状が三くだり半と俗称されたのは、本文を三行半に書かれたことに由来する。用文章の書式では、離縁状の行数は四行半の書式がわずか一例みられるほかは、すべて三行半に書かれている。実際の離縁状でも四通に三通は三行半で書かれている。
離縁状を三行半に書くことが徹底されれば、『全国民事慣例類集』の報告にみられる相模国(神奈川県)鎌倉郡のように、「若シ自書スルコト能ハサレハ三本半の竪線ヲ画シ爪印ヲ押ス」となる。すなわち、文字の書けない者は三本半の縦線を引いて、爪印を押すことでよい地方も出現するほどであり、これは「所謂三行半ノ旧例」があった故である。
三行半の意識が徹底されれば、四行目を上から書き出すと、ちょうど半分の位置で書き終わるか否かわからないことから、四行目をちょうど真ん中から書き出して三行半に収めた離縁状がでてくる。上に離縁状の部分(表題と本文)を引用したものの如くである。この種のものが約一パーセントほど散見される。なかには表題を本文と同じ長さに書き、本文は二行半にしたため(しかも最後の行は真ん中から)、三行半にしたものもみられるほどである。夫の三行半へのこだわりと考えられ、繁二もそうだったといえるのではあるまいか。
[たかぎ ただし/専修大学史編集主幹・太田市立縁切寺満徳寺資料館名誉館長]