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歴史と現在の往還4 二つの大震災に通ずるもの

小笠原 強

2014年3月11日で3年が経過した東日本大震災。3年前のあの日、強い地震に数分間揺さぶられ、何が起こったのか把握しきれないまま、故郷の岩手・釜石が津波に呑まれていく映像を目の当たりにした。生まれ育った街並みが一瞬で崩れ去っていく光景を見て、「これは非現実の出来事であるに違いない」と思い、映し出されている状況を頑なに認めようとしなかった。それから約二週間後、筆者はその津波に呑まれた釜石の街に立ち、配信されていた映像が現実であったことを知った。多くの人から当時の状況について話を聞き、廃墟と化した釜石の街並みを見て、ただただ言葉を失った、ショックを受けた心身が3・11以前のように戻るまで、半年を要した。
あの出来事から3年が経ち、ここ最近、筆者自身のなかでふと思うことがある。それは結構な衝撃を受けたはずなのに、故郷で見た震災直後の状況や感覚を次第に忘れつつあるということである。時間の経過とともに、傷ついた街並みは整理されていき、自身も日々の生活で精一杯のなかにおいて、次第に以前の出来事を「忘れていく」ことは致し方なく、人間の「記憶」というものは、そのようなものなのかもしれない。しかし、そのまま致し方ないこととして、「忘れて」しまってよいのだろうか。これは東日本大震災のことだけではなく、さまざまなことに通底しているように感じる。2013年に90年目を迎えた関東大震災もその一つである。
1923年9月1日に発生した関東大震災は東京、神奈川をはじめとする広い範囲に被害を及ぼし、東京や横浜では地震後の火災が被害を増大させた。関東大震災はここ数年、東日本大震災の発生による「防災意識」への関心の高まりから、一層注目されることが多くなっている。
しかし、震災下で発生したのは地震や火災だけではなく、デマや当時の社会背景を契機として多くの朝鮮人、中国人、日本人が虐殺されるという「人災」といえる出来事も起こっているのである。その点への関心はどうであろうか。「防災」への関心は、天災が発生する度に想起されやすいが、果たしてその関心は「人災」にまで行きわたっているであろうか。本来の「防災」は「天災」も「人災」も防ぐべき災いとして扱い、両者に関心を寄せるべきなのであるが、関心が向く方向はどうしても前者に傾斜していると感じざるを得ない(この点は東日本大震災においても然りである)。その傾斜の先には、「人災」の忘却が待っている。
関東大震災90年を記念してまとめられた、関東大震災90周年記念行事実行委員会編『関東大震災 記憶の継承──歴史・地域・運動から現在を問う』はまさに、関東大震災の記憶を忘却させないためにも、どのように記憶を継承していくべきなのか考えさせる一冊であり、また、発生から90年を迎えた現段階での関東大震災史研究の現状を示すものでもある。
筆者も執筆者として本書に参加しているが、もともと関東大震災の研究をしてきたわけではなく、それゆえに付け焼刃の知識として、関東大震災=朝鮮人虐殺というイメージしか持っていなかった。
本書はさまざまな形で震災の記憶を継承していこうとする動きや震災当時、日本へ留学していた朝鮮人の動向、在日朝鮮人による虐殺の責任の所在をめぐる運動やろう者の虐殺をめぐる研究など、これまでのイメージとは異なる新たな研究潮流があることを提示している。
当事者側にありながら、3年前のことをすでに忘れ始めている状況からすると、物事を忘却させるのに90年という時間は十分すぎるものである。また、昨今のヘイト・スピーチなどにより、記憶の忘却化を促進させるような言説がなされる状況下にあって、記憶の継承の仕方は、今後しばらく課題として残り続けるであろう。当時を知る人々からの証言を聴くことができなくなってしまった現在、本書で提示したように、これまでの出来事を記録し、新たな研究を提示することによって、人々の記憶にとどめていくしかないのである。そのためにも記念行事などを継続しながら、記憶の継承を担う地道な作業は重要である。
記憶の「忘却」に抗う試みはまだ始まったばかりである。
[おがさわら つよし/専修大学非常勤講師]