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  • PR誌『評論』194号:協同の社会システムの担い手としての生協

協同の社会システムの担い手としての生協

小木曽 洋司

東欧革命以後、市民社会が注目され、その実在を可視化しようとする試みも現れている。日本でも、阪神・淡路大震災以後、NPOへの注目が集まり、1998年にNPO法が制定された。それは日本の文脈で市民社会が現実感をもって語られることになる社会的基盤でもある。この社会的基盤には他にも社会的企業、社会的協同組合などが含まれており、その総称としてサード・セクターと言われるようになっている。このセクターの興隆は、しかしながら、手放しで喜ぶわけにもいかない。経済のグローバル化によって、日本の大企業は多国籍企業へと脱皮し、国際的な分業体制を採用することになる。その結果、国内各地方に集積されていたその下請け、あるいは関連企業の雇用が失われたうえに、政治的には三位一体の改革によって地方自治体の財政はますます厳しくなってきた。地域間格差、都市―農村格差が拡大し、都市間・地域間競争が激しくなるからこそ橋本大阪市長のような政治的リーダーシップの現象が現れてくるのである。これは格差社会の内容を表現する一つの側面であるが、競争社会の激化は自己責任という形で人の内面まで浸透する。自己責任論という他者や自己を認識するフィルターを内面化することによって社会関係・人間関係の貧困化を招いている。格差社会においてその被害をこうむっている若者がとくにそうした自己責任というフィルターを内面化しているからこそ自己評価が低いと同時に他者と関係がつくりにくいという問題を抱える。そうした「生きにくさ」の解決としてサード・セクターが生起するのである。
問題はこの先である。サード・セクターがどんな社会を形成しうるのか。それとも社会の格差構造を前提にした、言わば規制緩和された市場の欠陥を補完する機能にとどまるかであろう。グローバル経済下の多国籍企業を基軸にした社会構造をさらに推し進めるために、TPP、原発推進という選択肢があることを現実が示している。それに対して対置されるのが協同の社会システムである。こうした構想を持つのはサード・セクターの中でも生協をはじめとする協同組合セクターである。なぜなら協同組合は「われわれの」生活を組み立てる方法であり、その根底にあるのが信頼関係であるからだ。一人一票制という決定方式は出資額とは無関係であることを意味しており、市場原理とは根本的に異なるがゆえに、市場原理の生活世界への浸透によってますます協同組合自体の危機が自覚されている。大きく報道された、毒物が混入した冷凍餃子事件は生協にとってはその存在理由さえ問われる事件であったが、その背景にある食糧の生産供給システムのあり方が問われていることを忘れてはならない。
協同の社会システムの模索とは対等な信頼関係を基礎とした社会システムを構造化する運動を意味する。その模索の主体である生協は、組合員を狭い意味での「消費者」という規定から解放することによって「生活者」の協同を組み立てる試みを始めている。その一つの事例はコープあいちで取り組まれているコメ卵の生産システムである。米を飼料に使用することで、近隣農家をこのシステムに組み入れ、10個300円という価格を支える生協組合員を、遺伝子組み換えトウモロコシなどの飼料原料の学習とともに拡大している。獣医でもある養鶏農家の経営者を核として近隣農家と都市の組合員が直接的な協働も含め、市場原理では到底不可能な、そして農政に左右されないシステムを構築しようとしているのである。それは地域社会の再生という意義を持ち、また消費者と生産者の対立構造を克服する試みでもある。
生協を協同の社会システムの一つの担い手と見なすとき、生協事業からスピンアウトしたNPOなどの社会目的を持った事業体との連携を視野に入れなくてはならない。たとえば、愛知県瀬戸市の商店街の一角に事務所を持つNPO法人「窯のひろば」は近くの団地を舞台に外国人労働者も対象に含めた健康チェック相談事業を、医療生協をはじめとする各国の通訳ボランティアなど様々な人的資源を結びつけて行っている。そこでは国籍は相対化される。このNPO法人は生協のモーニングコープの配達を請け負っていたワーカーズコレクティブの組合員が、それを契機に生み出した組織と活動である。
以上のように協同の社会システムの形成という観点から生協を見るとき、実に様々な協同の主体の中で新たな信頼を醸成する事業を組み立てられる可能性が見えてくるのではないだろうか。
[おぎそ ようし/中京大学准教授]