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  • PR誌『評論』193号:統制と民主化をいかに把握するか  ──『食糧供出制度の研究』刊行に際して

統制と民主化をいかに把握するか  ──『食糧供出制度の研究』刊行に際して

永江 雅和

「農地改革という民主化が実施された時代に、なぜ供出制度という統制制度が両立し得たのだろう?」。供出問題にはじめて取り組んだ学生時代に浮かんだ疑問である。この素朴な疑問に、書物という形で拙いながらも、ひとつの解答を提示できるまで、20年以上もかかったわけであるが、今回拙著に関わる文章を執筆する機会をいただけたので、表題に関わる論点をかいつまんで説明させていただきたい。
食糧供出制度とは1940年の「米穀管理規則」、42年の「食糧管理法」によって体系化された、米穀をはじめとする主要食糧の出荷統制制度のことである。農家の経営選択の自由を奪い、生産物を強制的に公定価格で買い上げる同制度は、戦後も民主化政策である農地改革と併行して進められた。こうした戦時期の統制政策について、1990年代に隆盛した総力戦体制論は、それが戦後日本社会に与えた影響の連続性に注目する議論として、当時の歴史研究に強い影響を与えた。これに対して通説的立場からは、そうした議論は戦後改革が与えた民主化の影響の過小評価であるとの反論がなされたのである。つまり議論は戦時期の「統制」の側面と、戦後の「民主化」の側面のどちらが規定的であったかを争う構図で展開されたのである。
しかし本書の問題意識は「統制」と「民主化」のどちらが規定的であったかを論じるのではなく、「統制」と「民主化」が相互にどのような影響を与え合ったのかを検討した点にある。本書で示したように、供出制度は、短期間の農産物生産・流通を政府がコントロールすることはできるが、中長期的には生産者の増産意欲を減退させるリスクを内包する政策であった。このような制度が戦時期に5年間、戦後10年間の計15年間も決定的破綻を見せずに運用された背景には、農地改革が過酷な供出に対する補償機能を果たしたことがあったと考えることができる。一方、民主化政策である農地改革にも問題点は存在した。一言でいえば所有権移転の正統性である。小作農民の権利拡大という観点でいえば農地の強制的所有権移転ではなく、小作権の強化で十分であるという議論は当時から存在した。後年地主団体が違憲訴訟を起こしたように、所有権を強制的に移転させる政策手法は、経済的地位の劣悪に苦しむ小作農を救済するというだけで正当化するには不十分なものがあった。しかし農地所有者が食糧供出という、公共性と負荷の高い用益義務を果たすことにより、所有権移転というドラスティックな改革が社会的に正当化される基盤が形成されたと言えるのである。本書では以上の統制と民主化の相互作用、すなわち「食糧供出と農地改革の相互補完機能」の論証を試みている。
本書のもうひとつの視点は「統制と民主化」の問題を、当時のそれぞれの関係者の立場から複眼的に検討した点にある。本書における基本的な考え方として、政策立案の理念と、政策受容の理念は一致するとは限らないというものがある。歴史においては、当事者の意図と結果はしばしば乖離するのであり、その乖離のありようを描いてゆくことが歴史叙述の面白さでもあると考えている。政策中枢においても、占領軍と日本の官僚層とでは、民主化の意義についての捉え方にギャップは存在したが、両者をひとまず分断的に取り扱おうという態度では共通していた。しかし地方の生産現場においてはそうではなかったと筆者は考える。縦割りになりがちな官僚組織と異なり、生産現場では眼の前で供出と農地改革が進行中であり、膨大な事務量をこなす人材にも限りがあった。自ずと両者を統合的に理解するための理路・言説が紡ぎ出されていったのである。
本書ではその他に、戦時中の部落責任供出の持った二面性、県供出行政担当者の苦心、農民運動勢力の供出問題への対応、第一次農地改革の実態、集落における割当量配分方法の変遷など、史料から明らかになった筆者の発見を記している。完成まで多くの時間と多数の方の御協力を得た本書であるが、その過程で筆者が感じた知的興奮の一端を読者の方々に伝えることができれば幸いである。
[ながえ まさかず/専修大学経済学部]