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  • PR誌『評論』192号:〔自著を語る〕 『格差は「見かけ上」か──所得分布の統計解析』

〔自著を語る〕 『格差は「見かけ上」か──所得分布の統計解析』

木村 和範

所得格差は、人口高齢化によって「見かけ上」拡大したにすぎない、所得格差の大きな高齢者層が増加したために社会全体の格差が拡大したのであって、それ以外の年齢層では、言われるほどに拡大していないなどの論調が、世紀の転換点あたりから、少なからず見られるようになった。さすがに最近では、実質賃金の低下、雇用情勢の悪化などの深刻な経済状況を反映して、格差もさることながら不況下の生活環境にかんする議論が盛んである。
そのようななかで、あえて本書を刊行したのは、「見かけ上」の格差を検出すると言われる指標(平均対数偏差)が期待通りの機能を果たすかどうかを方法論的に考察しておかなければ、今後も似たような状況のもとでは、この計測指標が繰り返し使用されることになりはしないかと考えたからである。
しかし、代案を欠いた方法論的な検討は説得力に乏しいという批判が、これまでにもあった。このことから、本書では「見かけ上」の格差を検出するとされる平均対数偏差の有効性を吟味するとともに、それに代る格差の計測指標(全年齢階級にかんする標準偏差(=総変動)の要因分解式)を数学的に誘導し、それを実際の統計に適用して、五歳間隔の年齢階級がそれぞれ総変動にたいして果たす寄与を計算した。さらにまた、「人口構成が基準時点と同一であれば(人口高齢化が進展しなかったとすれば)」という仮定を設けて、人口構成の影響(人口動態効果)を計測した。これらの一連の計算によって、65歳以上の高齢者層の平均年収はさほど大きくないこと、そして(標準偏差で計測した)所得格差も他の年齢階級に較べて著しく大きいとは言えないこと、それにもかかわらず、高齢者層が総変動にたいして(「見かけ上」ではない)顕著な寄与を果たしていることなどを数値で示し、その数学的な根拠が年齢階級別標準偏差と総変動にたいする年齢階級別寄与とはイコールではないという要因分解式の数学的性質にあることを述べた。年齢階級別の標準偏差が小さくても(格差が小さい年齢階級でも)、その世帯数が多ければ、それだけ総変動にたいしては大きな寄与を果たすのである。それとともに、人口動態効果の計測指標を構想して、その値を計算した。
本書における計算では、全国消費実態調査(総務省統計局)の匿名個票データ(1989年から2004年までの五年ごとの4回分のミクロデータ)を使用した。60年ぶりに統計法が改正されて、研究目的によるミクロデータの使用環境は以前の比ではなくなった。さまざまな『白書』にはミクロデータを利用した独自集計にもとづく分析結果が公表される一方で、原データをもたない『白書』の読者が、その内容を検証も反証もできない状況を考えると、隔世の感がする。表計算ソフトとPCの機能向上により、特別な統計パッケージ・ソフトを用いなくても、膨大であるとは言え、提供される数万程度のレコードであれば、問題なく処理できる。提供されたミクロデータは全個票の80%であり、本書で使用した「世帯類型別・年齢階級別年間収入」については、二人以上世帯では2500万円以上が、また単身世帯では1000万円以上が、それぞれトップコーディング処理を施されて、2500万円、1000万円になっている。このため、本書の分析結果は、公表される結果数字とは異なる。また、使用したデータの鮮度が低いため、分析結果の即時性については難点がある。本書では考察の力点を方法論的検討に置いた理由は、そのことにもある。
[きむら かずのり/北海学園大学長]