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  • PR誌『評論』192号:鉄道史学会編『鉄道史人物事典』を手にして

鉄道史学会編『鉄道史人物事典』を手にして

石井 寛治

鉄道史学会が総力を挙げて企画した『鉄道史人物事典』が漸く完成したというので、日本経済評論社から、何か感想を書いてほしいとの注文があった。私は、鉄道史学会のメンバーではなく、会合にもほとんど出席したことがないが、同学会には親しい友人が数多く加わっており、その活動内容は日頃から気になっていたので、思い切ってお引き受けすることにした。しかし、明治期から編纂開始時点(2003年)までの物故者580名の鉄道関係者を、合計61名(リストから欠落している中村尚史氏を含む)の執筆者が扱った本書を、素人の私が詳細に批評することはできるはずがない。
そこで、経済史研究者としての個人的関心からの感想を記すことでお許し頂こう。私が鉄道業(とくに明治期の民営鉄道会社)について、かねてより抱いていた関心の第一は、製糸業や紡績業に比較して極めて巨額の資本金をもつ鉄道会社が、外資にほとんど頼らずに何故設立できたのかということであり、第二に、海運業と異なり、早くから運転の技術を日本人が習得し、さらに客車や機関車の自給も早期に達成できたのは何故かということであった。
実を言えば、鉄道経営の担当者については、私自身はあまり関心がなく、初期の日本鉄道会社については、線路の工事や汽車の運転を政府鉄道局に任せたから、同社は「政府事業のための資金調達會社」(原田勝正)に過ぎないとする説を引用し、「同社について革新的な企業者を見いだすことは難しい」(拙著『日本の産業革命』朝日新聞社、1997年、講談社学術文庫、2012年)と述べたことがあるが、早速中村尚史氏から、そんなことはありませんよ、と批判されてしまった。中村氏は、その後、「明治期鉄道企業における経営組織の展開──日本鉄道株式会社を中心として」(野田正穂・老川慶喜編『日本鉄道史の研究』八朔社、2003年)を書いて、その点を見事に実証された。この人物事典は、鉄道政策に関わる官僚・政治家、さらには鉄道について論じた学者や作家などにも視野を広げているが、主として鉄道経営(官営・民営)を担当した経営者と技術者を対象としており、私のあまり知らない大小の鉄道会社の経営者のことが、詳しく調べて書いてあり、今後大いに活用できると思ったことをまず記しておこう。ただし、鉄道業における労働運動家は除外されていることを付言しておく。
試みに、先の日本鉄道会社に関係した人物を順次拾って見ると、歴代社長の吉井友実、奈良原繁、小野義真、毛利重輔、曽我祐準はもちろん、曽我の下で改革を推進した久米良作と山田英太郎もキッチリと書かれている。ただし、毛利重輔が1898年の日鉄機関方争議のあと短期間であるが社長になったことが書かれていないのには奇異な感じがした。このように、特定企業に関する人物を拾い出そうという読み方もありうることを考えると、将来、企業別索引を作って頂くと大変利用価値が高まるであろう。
ところで、私の関心事の第二の、早期の技術的自立については、本書で取り上げた技術者の多くが、帝国大学工学部の出身者であり、その能力を買われて、経営者になった場合がしばしばあるということから一応納得することができた。その帝国大学での工学教育が、鉄道技術を導入したイギリス人モレルの提唱によることは周知の通りである。本書でもモレルは、最重要外国人の一人として扱われている。ただし、小池滋・青木栄一・和久田康雄編『日本の鉄道をつくった人たち』(悠書館、2010年)所収の林田治男「エドモンド・モレル」が、通説のいうモレルの生年・経歴・結婚の誤りを根本史料に基づいて訂正したのを全く無視しているだけでなく、妻がモレルの死んだ「半日後」に亡くなったのに、根拠を示さずに「半年後」に死去したと変更しているのは不可解である。五島慶太の項では、同上書が参考文献として挙げられているから、訂正する時間があったはずである。再考を促したい。
私の第一の関心事である、鉄道会社が資金面での隘路をどう打開したかという点についての本書の説明は、蔵相松方正義が、日本鉄道などに配当保証を行ったことが、銀行の株式担保金融を容易にしたというものであるが、銀行が鉄道株式を担保とする金融を盛んに行ったのは、政府の保護によるだけでなく、日本銀行が特定の鉄道株を担保とする手形の再割引を行ったためである。それは、商業手形の再割引を本務とする日本銀行の業務を逸脱した産業金融であった。日本銀行総裁川田小一郎は、1890年恐慌を機会にそうした禁じ手を敢えて採用したのであり、この再割引は、1960年の鉄道国有化に至るまで、鉄道会社の資金調達に大きな役割を果たした。そうだとすれば、松方正義だけでなく川田小一郎も鉄道関係者として本書で取り上げるべきだったのではなかろうか。
さらに、株主については、池田章政、岩崎久弥、岩崎弥之助、安田善次郎、といった華族、財閥が挙げられているが、鉄道会社の株主としては、都市商人や地方地主の役割をもう少し重視すべきであろう。例えば、近江商人が中心となって出資した近江鉄道については、本書はもっぱら経営者西村捨三の項目で西村に即して描き、「常に資金不足に悩まされ続け、北浜銀行からの融資保証人に西村ら個人五名があたるほどであった」と、資金調達面でも西村の役割を前面に押し出している。西村捨三の項目だからといえば、それまでだが、資金調達面では、小林吟右衛門や阿部市郎兵衛ら近江商人が西村以上に苦労しており、家産を傾ける覚悟で銀行借入の保証人となったことが重視されなければならない。そうした資産家の積極的活動を無視して経営者のみに光を当てたのでは、巨額の資金調達が可能になった秘密は明らかにならないであろう。この点については、拙稿「近江鉄道会社への投資」(丁吟史研究会編『変革期の商人資本──近江商人丁吟の研究』吉川弘文館、1984年、のち、改稿の上、拙著『近代日本金融史序説』東京大学出版会、1999年、へ収録)で詳しく論じたので必要があれば参照されたい。
以上、私の個人的関心に基いて問題点を指摘したが、それは、本書が鉄道史のみならず、経済史・経営史研究者にとって座右の書とすべき力作であることを否定するものでは決してない。広く歴史研究者に参照を薦めたい。
[いしい かんじ/東京大学名誉教授]