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  • PR誌『評論』191号:「発送電分離」と再生可能エネルギー

「発送電分離」と再生可能エネルギー

小坂 直人

長時間の停電でも経験しない限り、日常生活において私たちが電気のありがたみを実感することはほとんどない。しかし、3・11東日本大震災後は状況がすっかり変わった。
3・11の際、周辺が停電騒動で大混乱となっているのに、六本木ヒルズ地区は自前の発電設備によって平常通り供給を実現していた。電力会社の系統から独立したこのような自家発電設備は、産業用を別とすると、非常用電源として発電機を備えている病院か、あるいは大型商業施設など電気とともに熱需要も大きい施設に置かれたコージェネ等に限られており、一般需要家が関わるケースはまだ少ない。その意味では、このケースは例外かもしれないが、多くの需要家が既存の電力会社に一方的に依存することの危うさを学ぶ機会となったし、小規模需要家が一定規模の電源を共同で備えることが危機管理上有効であることを示唆するものとなった。コージェネ自体は、熱エネルギーの多段階利用による省エネを目的としたものであり、必ずしも、危機管理を意図しているわけではないが、省エネに加えて、リスク対策上の優位性を発揮することも期待されることになる。
2012年7月から、電力会社による再生可能エネルギー「全量固定価格買取制度」が始まった。太陽光発電の買取単価が42円/キロワット時に設定される等、好条件の投資とみなされてか、全国で事業申し込みが殺到し、いわゆる「メガソーラー」の建設が相次ぎ、さながらソーラーブームの観を呈している。再生可能エネルギーの開発に期待を寄せる側からすると、狙い通りの結果と言えそうである。ここで得られる電流は既存の送電系統に乗り、消費地に送り届けられることになる。太陽光に比べ遅れ気味ではあるが、風力発電等も同様である。しかし、現状のように、送電連系によって広域運営が行われ、発電所と需要家が複雑に結合されている場合、発電所に近いことが必ずしも電力の恩恵をより多く受けることにはならない。
3・11後、福島でも再生可能エネルギーの開発・普及が追求されている。福島県民にとって原発はこりごりというのが偽りのない心情であろう。と同時に、福島の自然とそこから生み出される水力エネルギー等の成果を、ひたすら東京のために提供する仕組みから脱却したいとの思いもあろう。ここから、ローカル・エネルギーの地産地消を目指して、福島における需要に見合った諸電源を結合する地域分散型システムを構築する課題が提起されることになる。
以上の課題と「発送電分離」はどう関連するのだろうか。経産省の「電力システム改革専門委員会」は、「機能分離」と「法的分離」の2案のうち、「法的分離」を採用することで合意した(2013年1月)。電力会社から送電部門を子会社として「独立」させるのが「法的分離」、送電機能を外部組織に運用委託することを「機能分離」という。どちらにせよ、鍵は送電線の管理運用を担う「系統運用機関」のあり方にある。この機関が電源と潮流の統合管理ができないようであれば「法的分離」も画餅であろう。経産省提案の意図は全国大の「競争的で開かれた電力市場」の構築であり、新規電気事業者を含む電力会社同士が自由に競争する環境づくりにある。価格指標を基礎としたこの市場で再生可能エネルギーが選択されるかどうかの保証はない。元々、買取義務は規制そのものであり、自由化の対極にあるものであって、「発送電分離」とは直接関係がないのである。
いずれにしても、「発送電分離」は地域の分散型電力システムを強化し、その電源として再生可能エネルギーやコージェネを位置づけるという方向から提起されてはいない。送配電線は、事業者だけが利用しているのではなく、消費者も利用しているものであって、まさしく、地域共同に参画する全メンバーにとっての「共同利用設備」であり、国民の誰一人としてそこから排除されてはならない「社会インフラ」である。この点を組み込まない「競争者のための市場づくり」は、必ず消費者と国民、そして地域を忘れた政策や制度に帰結する。地域住民の共同管理抜きに「社会インフラ」の構築が可能かどうかが「発送電分離」問題を通じて問われているのである。
 [こさか なおと/北海学園大学経済学部教授]